トルコの旅(その1)/大橋康隆@クラス1955
記>級会消息 (2012年度, class1955, 消息)
6月14日から「10の世界遺産を巡るトルコ・ツアー」に参加した。
20名の参加者の中で、遂に私も最高齢者になり、いささかハードであったが、大変面白かったので紹介することにした。参考までに、旅行のルート図を掲載する。 | |
旅行ルート図
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6月14日朝11時40分、トルコ航空・直行便で約13時間半後に現地時間19時15分、イスタンブールに到着した。トルコ航空を利用したのも初めて、Boeing 777 に搭乗したのも初めてで、後部座席の窓からカスピ海を撮影できた。
6月15午前中は市内観光であった。バスに乗車後、間もなくオリエント急行の終着駅が窓の上方に見えたが、デジカメの動作が遅くて撮影できず残念。バスを降りてから、ブルーモスク、アヤソフィア、トプカプ宮殿 (写真1)、ハレム、宝物殿、を見物した。オスマントルコ帝国の栄華の時代を実感したが、詳細は省略する。市内観光後、17時に国内航空に搭乗し約1時間半でガジアンテップに到着した。当地から40キロでシリヤとの国境であるが、静かな町であった。
写真1
トプカプ宮殿 |
写真2
山上の石像群 |
写真3
トルコ犬 |
6月16日は、このツアーで最も厳しい日であった。朝7時にバスで出発し、約3時間後にアドゥヤマンに到着。ここで2台のマイクロバスに分乗して約1時間、ネムルート山の中腹まで来た。最後尾の座席にいたので、背中が焼け付くようだった。前方の座席も、窓を開けると熱風が吹き込むので窓は閉じたままだった。山頂は2,150メートルであったが、中腹まで来るとここからは徒歩で登るしかない。瓦礫のような尖った石がごろごろしており、石段らしきものも飛び飛びにあるが、滑りそうで危ない。40分でやっと世界遺産の石像群に到着した。(写真2)
ロバを引いた青年が、我々に同行して、「ロバタクシー」と叫ぶので、誰か乗らないと悪い気がしたが、20分後に大型のアナログカメラを持参した男性が息苦しくなり利用することにしたので、ホッとしたがここからは背水の陣であることを覚悟して登った。幸い、私は忍者のように足を横にして蟹のように登ったので、足への衝撃が少なくて済んだ。石像群を一周して眺めた景色は雄大であったが、写真を見ると平凡で残念である。石像は首が弱いので、頭部は風や地震で落ちてしまっている。下山も大変であったが、登り程は息切れがしない。熱いマイクロバスには閉口した。漸く大型バスに乗って冷房の有難さがわかった。山では天気が急変するので、雨合羽と暖かい衣服まで用意したが無用の長物となった。しかし好天気に恵まれて幸いであった。ここから7時間バスに揺られスィバスのホテルに宿泊した。
6月17日朝スィバスからバスで約1時間後にカンガルに到着し、トルコ犬を見学した。(写真3)昔、トルコ犬は狼を追い払う為に使われ大きくて強いが、現在は輸出禁止となり、血統を保持するため、自動小銃を持った兵士達が警護していた。写真の女性は、大変お世話になった添乗員の野口さんである。当日はVIPが当地を訪れイベントがあるらしくTVや新聞記者が待ち構えており、ツアー仲間の佐藤さんがTVインタビューを受け、トルコ人のガイド・シナンさんが、通訳した。(写真4)私も当日のイベントに出演する民族衣装の少女達と記念撮影する幸運に恵まれた。(写真5)ここからバスで約1時間、世界遺産ディブリー・モスクを見学した。午後は、バスで約4時間半走り、カッパドキアに到着した。夕方、三姉妹岩を見物した。
写真4
TV取材 |
写真5
民族衣装の少女達と |
写真6
カッパドキア |
6月18日は終日、世界遺産カッパドキアを観光し、ラクダ岩、ナポレオンの帽子などの奇岩や洞窟を堪能した。(写真6)午後には、トルコの伝統工芸である絨毯工場を見学した。(写真7)平山画伯の遺作となった構図の絨毯を、画伯が眺めることなく逝去されて残念
である。
6月19日朝バスでカッパドキアを出発し、4時間後にハットゥシャシュに到着した。世界遺産ハットゥシャシュ遺跡でライオンの門(写真8)、王の門、71mのトンネルや、ヤズルカヤ神殿を見学した。当地は、紀元前1650年にヒッタイト帝国の首都になった。楔形文字のヒッタイト語は、インド・ヨーロッパ語の最古の言語である。改めて世界の歴史を勉強する必要性を痛感した。ヒッタイト帝国は、紀元前1200年頃崩壊して、独占していた鉄の技術が各地にあふれ出たと言われるが、失われた世界の謎の一つである。午後は、バスで3時間半、トルコの首都アンカラに到着した。
写真7
絨毯工場 |
写真8
ライオンの門 |
写真9
サフランボル |
6月20日朝アンカラをバスで出発し、アタチュルク廟前で下車した。写真撮影後、約3時間北上し、世界遺産サフランボルを観光した。フドゥルルックの丘から眺める景色は素晴らしく、油絵の構図の宝庫であった。(写真9) 最初に公開された伝統家屋カイマカムラル・エヴィを見学し、昔の生活用具や暮らしぶりがよく分かった。観光後、3時間バスに揺られアンカラに帰着して、旅行の前半が終了した。
注:6月17日のビデオは、グーグル検索に下記の通り入力すると、2本検出できます。
Japonlarin Kangal Kopegi Meraki
また、
ihlas Haber Ajansi / JAPONLARIN KANGAL KOPEGI MERAKI
の見出しをクリックすると、新聞記事と写真が出て、薄緑色のシャツを着た小生が写真の右方に現れます。
2012年7月11日 記>級会消息
とてもタイトなスケジュールのようでお疲れだったと思います。若いですねえ。私も数年前にイスタンブールの魅力に惹かれて列車とレンタカーのトルコ旅行を企画しましたが2週間でカッパドキアより西側だけに絞ったものでした。しかしこの旅は幻に終わっていますので貴兄の紀行文、次回のその2を含めて誌上で楽しませていただきましょう。
コメント by サイトウ — 2012年7月15日 @ 15:03