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  • 「はやぶさ」60億キロの旅(その2)/大曲恒雄@クラス1955

    3. 一路イトカワへ
    (1)「はやぶさ」の目指す小惑星が「イトカワ」と命名された 


    「はやぶさ」の目指す小惑星1998SF36は1998/9/26にMITリンカーン研究所小惑星観測チームにより発見された。命名権は発見者にあるので宇宙研(当時)は「イトカワ」と名付けることを要請、2003/8/6国際天文連合の承認が得られた。これで「はやぶさ」&「イトカワ」の素晴らしいコンビが生まれることとなった。

    (2)地球スウィングバイ
     スウィングバイとは天体の重力を利用して探査機の軌道や速度を変更する技術で、燃料を使わずに軌道や速度を変更できるため惑星探査機などでよく使われる。ただし、スウィングバイを成功させるためには極めて精密な軌道制御技術を必要とする。その精密さの程度を説明するためのたとえ話として(資料2)に次のような話が紹介されている。
    『甲子園球場のバッターボックスに立ったバッターがホームランを打ってボールをバックスクリーン上の「的」に命中させなくてはならないとした場合、その「的」の大きさを計算すると0.1ミリより小さい。「はやぶさ」はそれほど超正確なコースを取らなくてはいけない。』
     (資料2)山根一眞:小惑星探査機 はやぶさの大冒険(マガジンハウス2010/7)

     打ち上げから約1年過ぎた2004/5/19に「はやぶさ」は東太平洋上空、高度3700kmの地点で地球に最接近、地球スウィングバイに成功した。この結果、太陽周回軌道速度が秒速30kmから34kmに増加すると共にイトカワへの軌道に乗った。見事な運用と正確無比な軌道制御技術に対して米国のJPL(Jet Propulsion Lab.)から賞賛のメッセージが届いた。

    4. イトカワへのランデブー~着地
    「はやぶさ」は打ち上げから2年3ヶ月の旅を経て目的地のイトカワに接近した。その頃イトカワは太陽を挟んで地球と反対側の位置にいて、地球との距離は約3億キロあった。電波が届くのに17分くらいかかる遠さである。

    その後の主な出来事を追ってみると
    ・2005/7/29~8/12 星姿勢計(スタートラッカー)によるイトカワの撮影に成功。この情報と地上からの電波観測を組み合わせて「はやぶさ」の軌道を精密に決めることができた。8/12時点でのイトカワとの距離は35,000kmであった。
    ・2005/7/31 機体X軸のリアクションホイール(R/W)故障(R/Wは姿勢制御系のキイコンポーネントで、これが無いと精密な姿勢制御が困難となる)
    ・2005/9/12 イトカワから20kmの地点(ゲートポジション)に到着 秒速30kmで公転しているイトカワに対して相対停止、9/26まで観測継続。
    ・2005/9/30 7kmの地点(ホームポジション)に到着、10/7まで観測継続。ここまでに「はやぶさ」は膨大な写真やデータを送ってきている。

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    $00A0   写真2

    ・2005/10/3 機体Y軸のR/W 故障(これは極めて深刻なトラブル、R/Wを2つ失ったことが以後の運用に重大な影響を与えた)
    ・2005/10/28まで上下左右に位置を変えながら観測継続。
    ・2005/11/4~12 合計3回の降下試験(700m~55m)3回目には探査ローバ「ミネルバ」の切り離しが行われたが、「ミネルバ」はイトカワの表面にたどり着けなかった。

    (写真2)はJAXA(*1)のパンフレット表紙に載っている「はやぶさ」の写真でイトカワに着地した瞬間の想像図、「はやぶさ」の左下に小さく見えているのがターゲットマーカー(*2)である。
     (*1) JAXA:宇宙航空研究開発機構
     (*2)「はやぶさ」の降下・着地に際して目印とするために投下されたソフトボール大のアルミ球体

    ・2005/11/20 1回目の着地
    ターゲットマーカー切り離し成功。149カ国、88万人(*3)の署名の入ったプレートが一足早くイトカワに着地した。
     (*3)長嶋茂雄、星野仙一、衣笠祥雄、E.オルドリン(アポロ11号で人類初の月面歩行をした元宇宙飛行士)、S.スピルバーグ(映画監督)、A.C.クラーク(SF小説作家)、P.ニューマン(多くの宇宙映画にも出演した俳優)ほか多数の著名人が署名に応じてくれた。88万人の名前が半導体基板と同じエッチング技術を使いアルミニュームを蒸着した小さなフィルム50枚の表面に記録され、ターゲットマーカーに収納されている。
    「はやぶさ」は降下途中で障害物を検知したためサンプル採取をあきらめ直ぐに浮上を試みたが、姿勢が傾いていたため安全に浮上するのは困難と判断して降下を続けた。その結果イトカワ表面でバウンドした後再び着地し、30分ほどそのまま“休息”していたらしい。
    (資料2)には『まるで、長い旅の疲れをいやすように、横たわっていたのだ。』と書いてある。
    「はやぶさ」は安全モードのまま着地したのでサンプラーホーンの弾丸は発射されなかった。ただ、着地時の衝撃で星のかけらが舞い上がりサンプラーホーンの中に入った可能性はある。結局、地球から緊急命令を送り浮上させた。

    ・2005/11/26 2回目の着地
     計画通りスムースに着地し、速やかに離陸。サンプル採取までの一連の指令が出ていることが確認されたため、一旦はサンプル採取成功と信じられた(報道発表も行われた)。しかし、サンプル採取のための金属弾発射指令は出ていたが実際には発射されていなかった可能性の高いことが後になって判明(安全モードが解除されていなかった)。
    ・2005/11/27~12/8 化学エンジンの燃料漏れがきっかけで姿勢制御が不調となり交信が不安定となる。化学エンジンをあきらめてキセノンガスをそのまま噴射する奇策が成功して一時は姿勢が回復したが、12/8遂に通信途絶。化学エンジンから漏れた燃料が探査機内部では凍結していたがこれがとけてガスとなり、ゆっくり外部に噴出して姿勢を崩す原因になってしまったと推定されている。
     
    2005/12/9以降完全に通信途絶し、「はやぶさ」は行方不明になってしまった
    ・2005/12/14 「はやぶさ」の当初予定されていた地球帰還(2007年6月)が不可能になったことが発表された。

       ~「はやぶさ」60億キロの旅(その3)に続く~

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