久し振りの訪米記(その2)/大橋康隆@クラス1955
記>級会消息 (2010年度, class1955, 消息)
6月5日早朝、茂子おばさんの長女Joanneが訪ねてきた。これまで会食を共にしたことはあるが、今回、初めて仕事前の2時間程、会話を楽しんだ。(写真1) 彼女は、Colorado大学で博士(哲学)を取得、以前はカナダに住んでいたが、10年前に帰国し、Colorado州のBoulder在住である。 |
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写真1(Jonne:中央)
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現在、いくつかの企業で、企業倫理や、リスク・マネージメントのコンサルタントをしながら、大学でAdjunct Professorとして活躍し、多忙な日々を送っている。戦略の話から、宮本武蔵の五輪書まで研究していた。そこで囲碁の話を持ち出したら、大変な興味を示した。早速、帰国後に英文の入門書と、ポータブル・碁盤・碁石セットを送ると約束したら、大喜びしていた。
午前10時、次女Judyの運転で、茂子おばさんと次男Karl と私達は、長男Richardの孫娘のソフトボールの試合を観戦するため、Boulderに向かった。Richardは高校で物理・化学を教えていたが、現在は退職している。到着した時は既に後半戦であったが、雪に覆われたロッキー山脈を背景に、大平原の中のグランドで観戦するのは初めてだった。試合はコールドゲームで勝ち、昼食会は早めに始まった。
Richardの孫息子は午前中に大学入試の一次試験を受けていたので遅れて参加したが、昼食会後記念撮影をした。(写真2)
1995年に訪米した時には、茂子おばさんも雪に覆われたロッキー山脈に我々と登る元気があった。(写真3)中央が茂子おばさん、右がJudyである。 | ||
写真2(Boulder)
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写真3(1995年のロッキー)
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午後は早目にPlattevilleに帰り、古い写真と茂子おばさんの記録をもとに、我々の歴史を振り返った。茂子おばさんは2003年に、戦前、戦後の記憶をテープに収録し、次女Judyが59頁に編集し、貴重な記録になっているのである。
6月6日からカナダを旅行して11日に米国のSeattle空港に到着すると、茂治おじさんの孫娘Dorisが主人のCharlie と出迎えてくれた。帰宅後、Charlieと珍しく仕事の話をした。彼は以前ATTの交換部門に勤めていたので、昔話を懐かしがった。$00A0
6月12日午前は、Charlieの運転で市街の中心に行き、Dorisの妹Ireneと二人の息子と共に水陸両用車Duckに乗って観光を楽しんだ。ユニオン湖から眺めるSeattleの街は素晴らしい。午後は長い行列を待ってシンボル・タワーのSpace$00A0Needleに登り、展望台から四方を見物して、レーニエ山も撮影した。(写真4) | |
写真4(展望台より)
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私は1962年9月に、留学の帰路Portlandの大叔父を訪れ、翌日Seattleで完成間もないタワーに登っており、感慨深かった。
その時、大叔父と木村夫妻と次女Ireneと撮った(写真5)と幼稚園から帰って来た長女Dorisを抱いた大叔父と撮った(写真6)がある。これが大叔父と撮った最後の写真となった。 | ||
写真5(1962年木村夫妻)
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写真6(1962年Doris)
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母も私も大叔父には何度も手紙を書いており、父が亡くなってからは精神的支柱であった。
夕食はCharlieが得意なサーモン料理を作ってくれた。夕食には、Charlieの父親(89才)も参加した。(写真7)大学では化学を専攻し、バッテリー会社に勤めていたが、戦争で海軍に召集され、戦後四国の松山に駐留していたので、日本のことや地図に詳しく、大いに盛り上がった。松本清張の小説が読みたいので、英語に翻訳されている題名を教えて欲しいと頼まれた。 | |
写真7(Doris一族)
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6月13日の午前は植物園やDorisが学んだWashington大学を見学し、午後はDockを見学した。帰宅後は、古い写真をもとに歴史を遡った。大叔父、大橋茂治は岡山県立商業学校を卒業し18才の時、1905年に氷川丸で勉学のためSan Franciscoに到着、翌年大地震に見舞われ、Oregon州に移住。その後、農業に従事したが、4人の娘には英語教育を徹底し、マナーにも厳しかった。”You can lose wealth, but no one can take what you have learned.” が家訓であった。日米戦争が開戦するや、寒いWyoming州のCampに抑留され、戦後解放されたが、総てを失い苦労して再出発した。Dorisの母、木村孝子は次女であったが、最も活発で、病院で看護婦として勤務、4人の娘の中で最後に結婚した。従って大叔父は、晩年Portlandで木村一家と同居することになった。長女のDorisもWashington大学でBS(Nursing)を取得、今年5月にDistinguished Practice Awardを受賞している。2004年にアテネ、2008年に北京で開催されたパラリンピックに、米国水泳チームの副コーチとして参加した。北京からの帰路、日本に5日間立ち寄り、私達や、妹一族と再会した。
今回残念だったのは、大叔父の三女藤井久子おばさんの一族が住んでいるCaliforniaを訪れなかったことである。我々の体力も衰えてきたので、6月14日午前にSeattleを出発し、15日夕方に帰宅した。
2010年7月21日 記>級会消息
ボウルダーはロッキーマウンテン国立公園へのゲートシティ。いいところにご親戚をお持ちですね。私はロッキー山脈は好きで、北はカナダから南はアリゾナまでだいたい歩いているのですが、ロッキーマウンテンNPは抜けているのです。もうダメかも。次回にはゆっくりとミルナーパスを楽しんでください。
コメント by サイトウ — 2010年7月23日 @ 08:16
ロッキー山脈をカナダからアリゾナまで歩いておられるとは感嘆しました。私が最初にColodaroを訪れたのは1970年代後半で、以後数回訪れました。55才の時一過性虚血性脳発作で入院して以来、高い山に登るのは禁じられているのが残念です。
コメント by 大橋康隆 — 2010年7月25日 @ 17:08