• 最近の記事

  • Multi-Language

  • 「サクラサク」の思い出/大曲恒雄@クラス1955

     昭和26年(1951)3月21日、東大の合格発表の日「サクラサク」の電報を自分で打った。

     本来この電報は学生会などが遠方から来た受験生のためのサービスとして提供していたもので、受験会場で受付をしていた。小生は後で述べるような事情もあったのでこのサービスを利用しなかった。なお、念のために付記しておくと反対語は「サクラチル」である。
     東大の入試は3月3日から5日まで(5日は半日だった)、その後12日頃に早大の理工学部の入試(こちらは1日だけ)を受けた。発表は逆に早大の方が早くて20日、東大が21日だった。
     新宿の富久町(抜弁天の近く)に親戚が住んでいたこと、合格発表を自分の目で確かめたかったこと、郷里の佐賀から東京へ出て来るのに一昼夜以上かかり(*1)大変だったこと、などの理由もあり、高校の卒業式をサボってまで東京に居続ける決心をした(らしい)。
     
     (*1)長崎/佐世保と東京を結ぶ急行「雲仙」がS.25/11から運行されていたが、佐賀から東京まで約26時間かかった。
     
     20日に早大の合格発表を見て一応の安心感を持っていたこともあり、21日は割と落ち着いて昼頃から駒場に出かけたように思う。そして、期待通りに自分の受験番号が出ているのを確認し、その帰りに新宿駅で「サクラサク」の電報を両親宛に打った(*2)。
     普通の電報を打つつもりだったはずだが咄嗟に適当な電文を思いつかず、この“暗号電報”を借用してしまったようだ。
     
     (*2)この頃はまだ公衆電話が無かった。電話の歴史を調べてみると簡易公衆電話(商店の電話を公衆用として使わせるタイプ)が登場したのがS.26/11、委託公衆電話(赤電話)はS.28、赤い屋根の丹頂型公衆電話ボックスはS.29から。
     
     自分の番号を見つけた瞬間どのくらい嬉しかったのかについての記憶はハッキリしないが、直ぐにそれと分かる顔をしていたことは間違いない。何故なら掲示板の近くで網を張っていた運動部の先輩に「ボート部に入れ」と勧誘され、「出身は?」と聞かれたので「九州の佐賀です」と答えたら「それはいい、是非入れ」としつこく言われ、“ほうほうのてい”で逃げ帰ったことをよく覚えている。
     
     入試当日の朝は新宿富久町から13番の都電に乗って松住町(お茶の水と萬世橋の間)まで行き、そこで19番の都電(王子車庫行き)に乗り換えて東大正門前まで行った。一応下調べはしていたが、当日電車が遅れたか何かで少々もたつき、松住町の停留所で不安げな顔をしていた所に偶々助っ人が現れ、本郷まで同行してくれた。 
     数週間後、教養学部理一3Bクラスでこの助っ人氏が何と同じクラスにいることを発見してお互いビックリ、奇遇を喜び合った。彼は4~5才年上、東京育ちでいろいろと経験も豊富、頼りになる兄貴という感じ、入試当日の朝出会うという不思議な縁もあって非常に親しい友人となった。
     
     テレビで見る最近の入試風景では本郷の5人掛けの机に3人座らせているが、我々の頃は5人びっしり座らされていたので隣り(特に左隣り)の答案用紙はよく見えた。数学の試験だったと思うが問題の一つがどうしても解けず、そこだけは何も書かずに提出した。左隣りの男はびっしり解答を書いていたので負けたかなと思っていたが、合格発表掲示板にその男の番号は無かった。
     黒水仙a.jpg
     早大の入試が終わってからは解放感一杯で“東京の休日”を楽しんだ。ラジオ少年だった小生は神田の小川町~須田町あたり(露天商のパーツ屋が沢山並んでいた)をよく歩いた。神田の神保町の発音を間違える人が多かったようで「ジンダのカンボウチョウ」という珍語(?)を聞いたことがある。何故か秋葉原の記憶は殆ど無い。その時の“足”は専ら都電で、まず新宿富久町から13番に乗り飯田橋または水道橋で乗り換えて都心方面へ。都電に乗ると直ぐに路線案内図の所に行き、どこでどの線に乗り換えるべきかを研究したものである。
     映画も幾つか見た。特に印象に残っているのが「黒水仙」で、デボラ・カーの口紅の色のイメージは鮮烈だった。
     インターネットで「サクラサク」と検索してみたら、赤坂サクラサク神社という合格祈願神社が期間限定で開設されていることが分かった。有料制神頼み方式ということらしい。ついでにNTTの電報サービスで各大学の合否メッセージを調べてみた。
     東大:ゴウカク/サクラチル
     東工大:オオオカヤマノ サクラサク/オオオカヤマノ サクラチル
     早大:サクラサク/イノホチル
     慶大:サクラサク/サクラチル
     本家のつもりだった「サクラサク/サクラチル」は現在慶大のものらしい。

     今年も「サクラサク」の季節がやって来る。58年後輩にあたる受験生諸君の健闘を祈りたい。

    2 Comments »
    1. 題名から大曲編集長の写真の傑作が発表されると思ったら、昔の緊張した一瞬を思い出しました。サクラサクを電報で打った大曲さんが羨ましい。その日の朝、大橋浩さん(岡山朝日高では同期に大橋が4人いて、彼とは岡山弘西小学校から同期)が訪ねてきて東工大に合格したと報告を受けた。彼が玄関で話している間に電報が来た。早く開けてみるように言われ、開けてみてほっとした。私が直ちに返事をしないので、心配した彼が「サクラチルか」と聞いたので「イヤ」と答えたので彼もほっとした。何と書いてあったかは覚えていない。「サクラチル」という電報でなければ良かったのだ。大曲さんも当時東京見物をしているようだが、私も入学試験の後、もし落ちたら2度と東京には来れないと思い、友人と銀座を見物したが、高峰秀子さんの「銀座カンカン娘」の唄がスピーカーから流れていた。大曲さんは映画まで見ており「黒水仙」のデボラカーの写真を掲載してもらい懐かしい限りです。コメントでは書ききれないので、当時の田舎者の苦労を別途報告させてもらいます。

      コメント by 大橋康隆 — 2009年2月23日 @ 11:54

    2.  編集長は昔の事をよく覚えていると思う。この文章を読んで初めて幾つか思い出した。
       1.最後の日は半日で数学だった。前年の数学が易しかったので安心していたら、意外に難しいので慌てた。私も一問が解けなかった。
       2.発表の日、渋谷の駅で友人とすれ違ったが、彼がいきなり「お前入ってる」と言って呉れて安心した。しかし、掲示板で番号を見た事が思い出せない。感激が薄れていたのだろう。
       3.渋谷にはこの日初めて行ったので、東急デパートの屋上のロープ・ウエーを見て驚いた。先日テレビで言っていたが、これを知っている人も少なくなった由。昭和26年から1年半だけの運転と云う事で、我々が駒場に通った期間に合致する。
       

      コメント by 寺山 進 — 2009年2月24日 @ 14:53

    Leave a comment

    コメント投稿後は、管理者の承認まで少しお待ち下さい。また、コメント内容によっては掲載を行わない場合もあります。