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  • 総選挙は楽しい/武田充司@クラス1955

     と言っても、これは僕が1995年以来10年余り付き合ったリトアニアとう国の話です。


    彼の国では、投票率が50%以下の場合は選挙そのものが無効となり、やり直しとなります。
     以前、こんなことがありました。総選挙後初の国会(向こうではセイマスと言いますが)が開かれた時、141議席のはずが140人しか議員がいないので、「どうしたの」と訊いたら、投票率が50%に満たない選挙区で2度目の投票をやったのですが、やはり50%以下だったので、その選挙区は置き去りにして、国会が開催されたのだということでした。選挙民がぼやぼやしていると、もうその選挙区の代議員なしで、どんどん国政が進められてしまうと言うのですから、いやはや愉快な話です。
     もうひとつ面白かったのは、小選挙区制の全国71選挙区で、1位の候補者が投票総数の50%以上取れていないときは、1位と2位で決選投票をするという制度です。当然と言うべきか、投票総数の50%以上をとって1位当選するなんて凄い候補者は数人で、あとは全て2週間後の決選投票となるので、この第2ラウンドの方がずっと面白い。最初の選挙では比例区の70議席と小選挙区の数名が決まるだけで、そのあと、あれこれ予想が語られた挙句、第2ラウンドで、第2位の候補者が逆転当選する場合があのですから、これまた面白いのです。これによって、小選挙区制の欠点である多くの死票も不完全ながら救済されると言うわけです。
     日本では、候補者の行動ばかりが注目されますが、もう少し選挙民に考える時間と手間隙かける自由と責任を与えたらどうでしょうか。選挙民の質と努力が優れた政治家を育てるのですから、選挙民も労を惜しまず、もっと頑張るべきではないかと思います。 (2008年12月24日記)

    7 Comments »
    1. 大変勉強になりました。面白い選挙システムで日本も参考にすべきと思いました。

      コメント by 沢辺栄一 — 2009年1月19日 @ 13:57

    2.  小生も大変興味深く拝見しました。リトアニアは旧ソ連から独立して日も未だ浅いのに、中々面白いシステムを採用してますね。
       投票率50%以下の選挙区は代議員無で、置き去りにされる。之はある意味、理にかなってます。そんな処は、口を出す権利がないと云うわけでしょう。
       小生は、日本の選挙での投票率の低さが不思議でなりません。選挙に行かないのに限って「政治が悪い」だのと言っている様な気がします。

      コメント by 寺山 進 — 2009年1月19日 @ 17:33

    3. 補足:直近の話として、リトアニアでは、昨年(2008年)の10月12日(日曜)に総選挙がありましたが、この時には、71の小選挙区全てで、投票総数の50%以上を獲得した1位の候補者いなかったため、比例代表の70人の議員だけが決まり、2週間後の10月26日(日曜)の第2ラウンドで、71全ての小選挙区で1位と2位の候補者による決戦投票が行われて、決着しました。

      コメント by 武田充司 — 2009年1月19日 @ 18:36

    4. 全く先進的な選挙ですね。投票率50%以下は再選挙など、私は双手で賛成です。わが国では憲法改正でさえこの制約がないのですからけしからんと思っています。

      コメント by サイトウ — 2009年1月19日 @ 22:34

    5. 武田さんのブログでリトアニアの選挙制度を知り、大変感心しました。日本も大いに勉強して、より良い選挙制度を確立すべきだと思います。昨年の夏、地下鉄銀座線に乗っていたら、途中で外国の20歳前後の若者達がどやどや乗って来て私の両隣にも座ったので、何処から来たのかと尋ねたら、バルト3国からで、リトアニアから来た青年もいました。案内役の日本人の青年に尋ねたら、これから浅草の浅草寺を見物し、和歌山にも行くと説明してくれました。日本にもバルト3国から旅行に来るようになったのかと時代の変化に驚きました。それにしても、それらの国について私は何も知らないと反省しています。3年前にブルガリアを旅行した時、ホテルで朝食を共にした日本人の年配のご婦人達が、広島の原爆の国際会議に出席された方達でした。ブルガリアでは石油が出ないので、原発は重要なエネルギー源であることを知りました。

      コメント by 大橋康隆 — 2009年1月20日 @ 19:27

    6. 1965電気卒 荒川と申します。生来のでしゃばりで、先輩のブログに失礼を致します。
      東海村で炉物理をご教授戴いて以来、武田先輩のユニークなお人柄には、深い敬意を抱いて参りました。
      世に「技術馬鹿」と言う言葉があり、自戒の種としておりますが、電発の先輩である中林様と並んで、武田様のような方々の生き様が、社会的に必ずしも高い評価とならない(失礼)ことの原因を探っています。
      最近、STS(Science for The Society)が言われるようになり、技術者の社会的責任も問われるようになりましたが、社会に於ける技術と技術者の役割を的確に確立する上でジャーナリズムの役割が大きいことに注目しています。具体的なテーマとして、科学技術の「リテラシィ」確立があります。
      此れを機会に、武田先輩から、このようなテーマに就いてもご教授を得たく、宜しくお願い申し上げます。もし、ara-f@g-e-i.org までご連絡下されば幸甚に存じます。

      コメント by 荒川 文生 — 2009年2月2日 @ 17:34

    7. 上記のコメントで下記の誤りがあり、お詫びの上訂正申し上げます。   1965電気卒 荒川 拝
      STS(Science for The Society)
      正:Science and Technology for the Society

      コメント by 荒川 文生 — 2009年2月4日 @ 13:06

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