徒然なるままに…(時間)/鷹野泰@クラス1955
記>級会消息 (2008年度, class1955, 消息)
「鼠の涙に性別伝達のフェロモン分泌がある」なる記事を嘗て新聞で読んだことがある。
これによると、このフェロモンの受信体は相手の鼻の嗅覚とか。人間のフェロモンのレセプターは5感以外の受信機能との自説(?)を持っていたが・・・・・。
さて、ここではこのフェロモンに関する自説を紹介する積もりはない。ただここでは、「6番目の人間感覚がある」との自説を紹介しよう。これは、時間感覚である。人間は皆時間経過を感じる。人間の如何なる器官の、如何なる機能によって時間を感じているのだろうか。少なくとも通常の視覚、聴覚、等の5感の中にはない第6番目の感覚ではないだろうか?人間は4次元の世界に生きている。空間の3次元は通常の5つ感覚で捕えうるが、時間を感じている感覚は? ただ言えることは、時間は流れであり、流れを感じる為には、静止体が存在しなければならないと言うことである。車外に静止体である景色がある故に初めて車体が動いているのが判るように。では、体内にあるこの静止体とは? ウーン解からない!!!解らないから一寸調べてみたが、これは奥の深い問題であり、「時間」とは物事の変化を認識するための概念ということだけは解った。芸術、哲学、自然科学、心理学などの分野で重要なテーマとなっている。それぞれの分野で異なった理解と定義付けがされているようである。山口大学には時間全般に亘る研究所が開設されているとか。また通常、時間そのものに速さを感じており、新規の事象や経験の発生頻度により時間の感じ方が異なる。子供は未経験な新事象の発生頻度が多いので大人や老人よりも時間間隔が長いと言われている。一方、何の変化も無いトンネル内のドライブ等は実時間以上の長さを感じる。速さとは距離と時間の関係であるが、この中の時間そのものに早さがあるとなると、その基準はなんだろう?その時間の「速さ」をはかる「尺度」がまた必要になることになる。難しい問題である。
お互いに残された時間は年々少なくなって来ている、厚生労働省の統計資料によると、我々の残存余命は既に10年を割っている。この残された時間を如何に意義あるものにしようか、又どのようにして実質的に長くしようかと、今日も考える。
ーーー「黄落や ダ・カーポの無き 終楽章」ーーー
今年も残り僅か、皆さん良き年末、年始をお迎え下さい。
2008年12月29日 記>級会消息
久し振りの鷹野兄の一文を懐かしく拝見。
以前お伺いした箕面のお宅は本当に静かな処だったが、あそこで鷹野兄の時間が悠然と流れて居るのかなと一人想像している。ご健勝を祈ります。
コメント by 小林 凱 — 2008年12月29日 @ 21:39