「素晴らしき東大での43年間」定年退職の謝辞に代えて/榊裕之
本年3月末で、43年間の長きにわたってお世話になった東京大学を離れることとなった。以下に、学生時代の9年間と教員時代の34年間を振り返り、皆様への謝辞と挨拶に代えたい。
《学生時代9年間の思い出》 1964年駒場に入学し、まず数学の難解さや政治思想史の面白さに接し、学問の深さと広さに感服したことを覚えている。秋には東京オリンピックが開かれ、選手村担当の通訳として働いたが、東洋の魔女など世界のアスリートを目の当りにし、東京のもつ国際性にも驚かされた。66年に電気工学科に進学、回路や電動機や通信方式などを学び、電気工学の体系の巨大さと堅牢さに圧倒された。67年、卒業研究を契機に、未開拓な領域をより多く含む半導体素子の世界に惹かれることとなった。68年には電子工学科の大学院に進み、菅野卓雄先生のご指導の下で、MOS FET の超薄膜伝導層内の電子伝導と量子効果の研究に5年間没頭し、研究の醍醐味を味わう機会を得た。特に、東芝の研究陣と物理教室の植村泰忠先生からの学際的な助言のお陰で、LSI技術の基となる学術的な知見を提供できただけでなく、広い視野に立った研究の方法論も習得でき、深く感謝している。
《教員としての34年間》 博士課程を終えた73年、生産技研の濱崎襄二先生が主宰するマイクロ波・光波グループに採用いただいた。濱崎先生は「研究テーマの選択は自由。ただし、5年後や10年後に後悔しないように。」とだけ指示された。テーマ探しを始めて、1年余りした後に、超薄膜伝導層の中に格子状(あるいは碁盤目状)に障壁を入れ、電子の面内運動を量子的に制御する「プレーナ超格子(結合した量子細線・量子ドット)」の着想に至り、素子の概念と特性予測を記した論文を’75~’76年に発表した。直後の’76~’77年には、江崎玲於奈先生に招かれ、IBM Watson研究所で超格子の研究に従事する幸運も得た。帰国後、初代院生の大野英男君などの協力も得て、分子線結晶成長装置を試作・稼動させ、ナノ薄膜による電子の量子制御と超高速FET などへの応用研究が本格化するに至った。さらに、量子細線FETの提案に続き、荒川泰彦先生と共同で量子ドットレーザの提案も行うとともに、優れた院生・研究員・同僚などの格別の協力も得て、ナノ構造を活用した電子素子や光素子実現のための実験的な研究も本格展開できることとなった。その結果、いまや本学はナノ電子工学の世界的な拠点と見なされるに至っている。ここに研究の推進に協力いただいた多くの方々ならびに財的支援をいただいた文部科学省やJST などの諸機関にも深甚の謝意を表したい。
《将来に向けて》 近年、電子工学を基に情報通信技術が飛躍的に発展し、電気工学を礎にロボットや電気自動車も著しい進展を遂げてきた。わが国が、今後も質の高い通信・交通・電力インフラを確保し、卓越した製品の提供者として国際的優位を保つには、電気・電子工学分野での持続的な努力が必須である。残念ながら、一般社会、特に20歳前後の若者には、この重要性や発展性が十分に伝わっていない。この状況の改善のために、東大電気電子工学科の関係者がなしうる役割は大きい。小生も、日本学術会議会員や豊田工業大学副学長として最善の努力をしたいと考えている。賛同・協力いただければ、幸いである。
(昭和43年電気卒 生産技術研究所教授)
大変すばらしい生き方に感銘を受けました。
このような人生を経て初めてこの地位に立てるのだと実感しました。
自分の人生をより豊かにするために榊さんの生き方を参考に
大学での生活をさらに豊かにしていきたいと思います。
コメント by R.Shibata — 2012年5月14日 @ 15:06