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  • 渋沢元治先生の扁額「捕雷役電」/渡部直也

    近代日本経済の父と呼ばれる渋沢栄一の生涯を描く、NHK大河ドラマ「青天を衝け」が現在放映されている。先日寄居方面に出掛けたついでに、深谷市の渋沢栄一記念館に立ち寄った。記念館は深谷市の施設で公民館と併設されている。目の前の大きな駐車場は、大河ドラマの影響で増加する参観者対策であろう。

    家に戻って何気なく、旧渋沢邸「中の家」のパンフレットを見ていると、渋沢栄一の甥に当たる渋沢元治(もとじ)の紹介があった。栄一の妹ていの長男。進学のために東京に出る12歳までこの中の家で過ごし家業の養蚕や藍玉づくりを手伝った。

    その後、東京帝国大学工科大学電気工学科卒業、欧州で学んだ後に逓信省の技術部門を歴任し、黎明期の電気事業において民間事業者の指導、電気事業法の確立に貢献。東京帝国大学教授、名古屋帝国大学の初代総長を歴任。日本の電気工学の進展に大きく貢献。

    どこかで聞いたことのある名前、渋沢元治? 恐る恐る電気系同窓会の「セピア色の三号館」サイトで名前を検索すると、我が電気系同窓会の初代理事長(明治33年卒)! そう、同窓会の立ち上げに尽力された方だ。

    本郷の電気系会議室に掲げられている木彫りの扁額「捕雷役電」は、渋沢元治先生が大学に寄贈したもの。この辺りについては、Yoshのブログの記事「捕雷役電、渋沢元治先生」が詳しい。この扁額「捕雷役電」は孝子夫人の父穂積陳重(ほつみのぶしげ)東大教授(法学)から贈られたもの。穂積陳重の夫人歌子は渋沢栄一の長女に当たる。すなわち、この扁額「捕雷役電」は渋沢家と強く結びついたものだったのだ。

    同窓会報では、2号(1958年):電気工学教育の発端(Ⅱ)6号(1962年):「捕雷役電」などで渋沢元治先生が寄稿している。特に6号では、「捕雷役電」の由来について詳しく述べ、そして最後に『かようにわが日本国の興隆と歩を揃えて躍進的に発達した電気界の状況をこの室から眺めて来たのは聖代の余沢とはいいながら実に愉快至極であった。しかしまだ「捕雷役電」を自由勝手にすることは前途遼遠の感があるのは残念でもあるがまたわれわれをして大に発奮せしむるものがある』と結んでいる。技術進歩が進み、社会変化も著しい今日、「捕雷役電」は私たちに何を伝えるのだろうか。

    <参考情報>

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