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  • 55年会/クラス1954(昭29)


    H21.10.16  東大電気昭和29年卒55年会    於 学士会館

     すがすがしい秋の一日、学士会館で昭和29年卒業の55年会が開催された。50年会は分校と合同で行われたが、今回は本郷のクラスのみで行った。今年は新型インフルエンザが猛威を振っている最中であり、幹事としては頭を悩ませたが無事開催出来、予定された出席者全員参加できて胸をなでおろした。

    ご来賓として、岡村先生と大山先生のご出席をいただいた。残念ながら宇都宮先生はご出席いただけなかった。尚、昨年は元気に出席してスピーチもしてくれた杉山君がこの夏急逝され、逝去された方は9名になった。現在残りの43名の内下記の27名の出席を得て開催された。

    出席者は、有富、池田、伊藤、井早、岩崎(昇)、内田(準)、内田(禎)、角田、加藤(幸)、加藤(寧)、河村、窪田、黒川、幸田、小島、古明地、菅野、関沢、関根、藤崎、前川、松島、松村、松本、水嶋、宮内、山中の諸君でした。 以下私の司会で進めた。

    最初に小島幹事から開会の挨拶をした後、両先生からお言葉をいただいた。岡村先生は90歳台とは思えないお元気さで立ってお話をされた。先生のクラスは来年70回になるそうで、35名だった同級生も減ってきたが、電話では元気そうな話をされている。あんまり世話をされると駄目になるので、日頃いろいろと身体を動かすようにしているとの健康維持の秘訣を披露していただいた。

    大山先生から55年経っているのに43名生きておられていい成績だとお褒めのお言葉をいただいた。諸君は丁度いい時に大学を出て高度成長期に十分いい仕事をされたといわれた。先生の奥様は歌舞伎がお好きでそれに一緒に行かれている。ボケ防止にいろいろの集まりに顔をだしている。エネルギー問題についても政府にもの申す集まりにも参加されている。新政権発足に対して、フランスのミッテラン元大統領が原子力発電推進の決断をした例を引いて、マニフェストで約束したものはどうしてもやらねばならぬという所に固執しすぎている事に心配されていた。

    ご来賓のご挨拶の後、幹事の前川君の音頭で乾杯を行った。今回は先生方には着席していただき、同級生には立食形式で食事していただいた。

    しばらく食事・歓談をした後、同級生4名からスピーチをしてもらった。最初に遠路はるばる京都から駆けつけてくれた松村君から将来両親の面倒をみることで、関西に就職を決めた経緯、電力で原子力発電に関連した仕事、近況について話をされた。次は内田(禎)君より今でも現役で学会の仕事で海外に出張して活躍している現況と日本電機業界の不振と韓国・中国の躍進ぶりに対する警鐘が述べられた。3番目は関根君で、電力関係の産・学の協力関係を高めるためのパワー・アカデミーについての経緯とその中にある壁の問題について詳細に説明された。また今年1月に南極に行かれた話を披露してもらった。さらに角田君より今年7月に船橋の老人ホームに転居された旨とその後の健康状態についてのお話があった。

    最後に出席者全員で集合写真を撮り、閉会の挨拶を幹事の窪田君より行って終了した。来年の幹事を山中君にお願いすることで了承され、来年の10月15日(金)同じ場所で行うことで散会した。

    (内田(準)記)

    お元気でご出席下さった大山 彰先生が、11月4日に急逝されたとの訃報に接し、クラス一同深い悲しみに沈んでいる。先生のご生前の数々のご業績を偲び、心からのお悔やみを申し上げ、ご冥福をお祈りする。

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