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  • エアトン先生のレリーフ/日髙邦彦

    エアトン先生のレリーフが工学部3号館2階にあった電気系図書室の閲覧室の壁に飾られていたのを懐かしく思い出す卒業生も多いかもしれない。2006年4月に電気系学科、専攻の本拠地が3号館から2号館に移る際、このエアトン先生のレリーフをどこに設置したらよいか種々議論があり結論が出ないまましばらくお蔵入りとなっていた。最終的に昨年(2007年)の秋に工学系建築計画室の岸田教授の薦めもあって、2号館5階のエレベータホール内、2号館図書室の壁に飾られるようになった。

    工学系所有する歴史的に価値のある物品には説明文を付けて多くの人にその価値を知ってもらおうという趣旨から、エアトン先生のレリーフについても説明プレートが付けられることになった。その説明文を誰が書くかということで、私がたまたま電気系図書委員会の委員長であったり、電気系文化遺産保存委員会の世話役であったりしたことから、その役を引き受けることになった。電気系の若い卒業生の皆さんにとっては、エアトン先生といっても今一つぴんと来ないかもしれないので、その説明文をここで紹介することを思い立った。

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    ウィリアム・エドワード・エアトン(William Edward Ayrton、1847年9月14日~1908年11月8日)のレリーフ

    1873 (明治6) 年に創設された工部省工学寮電信科(現東京大学工学部電気系学科の前身)は、世界最古の電気系学科と言われている。明治政府の招聘によりこの電信科の初代教授に赴任したのが、英国人エアトン(W. E. Ayrton)である。エアトン教授は1873 (明治6) 年から1878 (明治11) 年まで電信科で教鞭を執り、20名の日本人学生を指導するとともに我が国の電気工学の基礎を築いた。

    エアトン教授は非常に勤勉な学者で、寸暇をも無駄に費やすことを嫌い朝早くから夜遅くまで研究に没頭し、その成果を英国の学会誌などに次々と発表している。19世紀の偉大な物理学者であるマックスウェル(J. C. Maxwell)が「電気学界の重心は日本に近づけり」と彼の研究を評したという有名な伝説が残されている。

    1878 (明治11) 年3月25日に、工部省中央電信局の落成晩餐会が工部大学校(1877年に工部寮から改称)で開催された際、エアトン教授とその教え子はわが国初の電気灯(フランス製アーク灯)を公開の場で点灯させた。「電気記念日」はこの日に由来している。

    エアトン教授は英国に帰国後もロンドンのセントラル・インスティチューション(現ロンドン大学の前身)で物理および電気工学の教授を終生務め、また1881(明治14)年にはロイヤル・ソサエティ会員、1890(明治23)年には英国物理学会会長、1892(明治25)年には英国電気学会会長に選任されるなど、当時の英国を代表する電気学者として活躍された。

    展示されている木製額に収められた青銅製鋳造レリーフ像は、エアトン教授の没後、日本の教え子達がエアトン教授の功績を讃え、また日本における足跡を記念するものとして、1910(明治43)年11月、醵金により作成し東京帝国大学(現東京大学)電気工学科に寄贈したものである。

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    電気系学科のルーツを築いたエアトン先生のご尊顔を是非見ていただきたいと思っている。なかなか忙しくて落ち着いて見ることができないという人のために、お薦めしたい鑑賞法をお教えしたい。2号館の北西側に3台のエレベータが並んでいるが、その中の向かって一番左側のエレベータに乗ると、5階に停止中はもちろんのこと通過時にも、エレベータのガラス戸越しにライトアップされたエアトン先生のレリーフを一瞬眺めることができる。

    12階の住人である私も、エレベータに乗るときはできるだけ左側のエレベータを選ぶことにしている。気難しそうな顔であるが、毎回、叱咤激励されている気持ちになる。

    (日髙 邦彦:工学系研究科電気工学専攻・教授)

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