社会を支える情報ネットワークインフラストラクチャ/齊藤忠夫
区>会員, 記>温故知新 (class1963, 情報ネットワーク)
1.前書き
地球上には多くの生物が存在するなかで、人が世界で繁栄し地球を支配するようになったのは言葉を使って協力し、集団としての能力が発揮できたからである。歴史は人の作る文書とその理解から成り立つ。このようなことができるのも、人が情報を作り、他人に伝える能力を持つことが前提になる。我々は大学で情報通信工学を学んできたが、これも人の持つ言語能力を前提にした工学である。情報は人に発し、他人に伝えられる。通信技術、情報技術はその伝達、加工、保存を容易にした。情報加工技術は近年短期間の間に大きく発展した。人が技術を使って何かができるようになると、それが社会のために有用に使われると同時に、意図しない方法で犯罪等にも使われがちになることが経験されている。情報の社会的活用を安定させる法制度も、情報犯罪がほとんどなかった時代と、多様な犯罪が多発するようになった時代では違うべきであろう。過去のルールが時代遅れになり、犯罪の防止を困難にする事例も少なくない。技術の進歩、社会の変革、悪用の克服は、いつも繰り返される。技術の先端を研究し、それを社会化するために、法制度の見直しの努力した者として、技術と社会の関係を改めて考えることは重要ではないかと思い、拙文としたい。
2.人の言語能力
地球上に存在する生物で、言葉によって意志を表現し、協力できる能力を持った生物は人間以外には存在しない。人間はその能力を使って技術を他人に伝え、協力することができる。ヒト属の歴史にさかのぼれば、ホモサピエンスが登場するはるか以前から石器の利用、火の利用の痕跡は存在する。ヒト属は次第に進化し、ネアアンデルタール人もホモサピエンスも25万年前に現れた。脳容積ではネアンデルタール人の方が大きかったことが考古学的に知られている。しかしネアンデルタール人は言語能力を欠いており、3万年前に滅亡した。ホモサピエンスが言葉による協力で、狩猟能力を高め、ネアンデルタール人の狩猟を難しくした結果だと言われている。言語能力を持つ種族は他にはなく、単に人、人類と呼ばれることが多い。
やがて人類は農耕を始める。1万年前には中国でも、メソポタミアでも農耕の遺跡がある。農耕民族が近くの砂漠に住む遊牧民族からの略奪から防衛するために集合を指示する情報伝達が必要になり、そのために文字が考案されたと言われている。文字を羊皮紙に書いた時代には文字が考古学的な資料に残ることは難しいが、5500万年前のシュメールの遺跡からは初期の文字が陶片に書かれたものが発見されている。
言葉によって共通の考えを持った社会を作りながら、人類は複雑な歴史を歩んできた。ローマ時代には帝国による街道整備が進められ、軍が配置された。街道は軍の移動の重要な手段であり、街道整備は軍の直轄事業であった。街道は移動手段であるが、同時に街道を通る飛脚便による通信は帝国をまとめる重要な機能であった。
より迅速な通信のためには、手紙ではなく、のろしによる合図、太陽光を鏡で反射させる通信も知られている。こうした通信手段の考古学的痕跡を探すことは難しく、部分的言い伝えでしか知られていない。ヨーロッパでは1790年代に、木片を組み合わせて文字を表現できる腕木をのせたtelegraph塔を、10km程度の間隔で配置する軍用の通信システムが建設された。日本ではtelegraphという言葉は電信と訳されるが、電信電気技術を利用した最初の装置として電信electrical telegraphができたのは電気現象が理解され、安定に利用できるようになった1830年代であった。もともとのtelegraphはoptical telegraph とも呼ばれるようになっている。日本には1855年に黒船で浦賀に現れたペリー提督が、電信機をもたらした。日本ではこれをtelegraphと理解したからoptical telegraphは日本の歴史にはない。しかし明治になって電信がサービスとして始められた当初、telegraphは伝信と訳されたという記録もある。
3.電気技術による通信
今日電子情報技術は多様な発展を遂げている。これも人が言葉を話し、言葉で知識を伝承する能力を支援するものである。ヨーロッパでは19世紀の前半まで、テレグラフは軍用通信のインフラストラクチャとして定着しており、初期の電信はヨーロッパでは発展しなかった。アメリカでは電信は一般ユーザ用の電報として活用され、ヨーロッパでは鉄道通信用に活用されたことは良く知られている。
電気技術の応用は19世紀の後半からの多様に進展した。1876年にグラハムベルによって電話が発明された。エジソンは1879年に白熱電灯を開発し、この時京都の竹の繊維がフィラメントとして使われたことは良く知られている。電話は電池で動作したが、白熱電灯はニューヨーク市内に作られた直流発電所からの給電で動作した。
無線技術は1894年の火花送信機とコヒーラ受信で始まったが、この技術で1899年には大西洋横断無線が行われたことが記録されている。電子技術はこの無線受信を安定にするために研究された2極真空管ではじまった。1904年のことである。1906年には3極真空管が発明され増幅器作られた。しかし、初期の真空管では真空度が低く、管内の分子が電離してできたイオンが加速されて真空管内のエレメントを破壊するために寿命は短かった。電話の音声を遠くまで伝送するには増幅器が不可欠である。電話技術を主導したベルシステムで大陸横断電話が成功したのは1915年であり、昨年には100周年の行事もあった。この時真空管の寿命は500時間であったと伝えられている。
真空管はその直後に始まった第一次世界大戦時に大量に使われ進歩した。第一次世界大戦は航空機が実戦に使われた最初の戦争であった。航空機に指令を与え、攻撃・防御するには無線通信が不可欠であり、真空管技術は進歩した。この技術を使ってラジオ放送が始まったのは第一次世界大戦の終了直後である。
この技術で長距離電話の安定性も高くなったが、なお通信コストは高価であった。電話伝送における次の顕著な発展は、第二次世界大戦で重要になったレーダ゙技術とそれに伴うマイクロ波技術の活用であった。これによってそれまでに比べて飛躍的に広い周波数帯域を通信に使えるようになった。マイクロ波による広帯域伝送では、この広帯域を周波数分割多重で活用し、大量の通信が可能になり、長距離通信のコストは急激に低下した。
4.20世紀終りの通信技術の発展
20世紀の後半は電気通信技術が大きな発展をとげ、社会を変革した時代であった。この時代発展は多様であるが、私から見た20世紀の後半の技術変化の一部を述べてみたい。
私は1963年に電子工学科を卒業してから、大学院で猪瀬教授の研究室で研究を始めた。トランジスタ技術が発展し、集積回路技術の発展も注目されていた。通信ではデジタル多重伝送を市内通信網で活用し、電子技術が市内通信を含め通信全体を低コスト化することが期待されていた。
交換技術は初期の手動技術から、多様な自動交換機に進展していた。通信が広帯域化すれば多重伝送が行われる。この場合にも交換は電話回線ごとに行われるから、多重伝送された線路は回線ごとに分離され、単一の電話を運ぶ回線単位で交換が行われることになる。
デジタル多重では回線は時分割多重され、時分割のタイムスロットで回線が区別される。デジタル交換機では多重化された線路を分離することなく収容し、入力多重線路のタイムスロットを、目的多重線路の、タイムスロットに接続することによって交換機を小型化し、コストを低下する可能性があった。目的線路でそのタイムスロットはすでに使われている場合には、別の空きタイムスロットを使わなければならない。多重化されたままで交換動作を実現するには、相手の多重線路を見つけて信号を送る空間スイッチと、空スロットを見つけ、それに合わせて信号を伝える時間スイッチが必要になる。
小生の初期の研究は、時間スイッチと空間スイッチを組み合わせて、実用規模のスイッチを実現する研究であった。猪瀬教授がベル研究所の委託研究をしておられたこともあり、この研究はベル研究所でも注目され、ベル研究所が1975年に初めて実用化したデジタル電子交換機No.4ESSのスイッチに採用され、その後の世界のデジタル交換機の基本となった。
通信技術の発展の速度は極めて速い。電話が通信サービスの基本であるという時代はデジタル交換技術が実用化されてから30年ほどの間に終わった。通信サービスの基本は電話からインターネットに移行し、伝送路は光伝送路になった。通信速度も1980年頃までは10Mbps程度であったのに対して、2010年代には100Gbps以上に高速化し、大量の通信が行われるようになった。交換に相当する機能はコンピュータを通して、相手回線に接続するルータに置き換わった。光伝送の技術で伝送コストは大きく低下しているが、光伝送を電気伝送に変換しなければ、ルータに接続できないというのは、通信の大容量化の制約になっている。半世紀前のデジタル交換では多重分離されていない線路で、直接交換できるようにしたと同様に、光多重を光のまま交換する光交換、光メモリーの技術は次の世代のネットワークを実現する夢として関心を集めている。ル-タ技術がアメリカを中心として発展しているのに対して、高速光伝送の研究では日本が世界をリードしている。光交換技術も日本がリードする技術であり、次世代のネットワーク技術として、世界を発展させる技術となることを期待している。
5.通信自由化とブロードバンド回線の普及
通信サービスの体系は長距離通信が著しく高価であった時代に形成され、多様な技術によって長距離通信コストが低下しても、料金低下への反映は不十分であった。通信参入が多数の事業者で行われていたアメリカでもこの問題は同様であった。長距離電話事業は新規参入者が利益を上げるチャンスであり、1960年代終わりになって、アメリカで新規事業者の長距離参入が始まった。
通信を人の通信に留まらず、コンピュータ通信に使う場合には電話用に建設された通信回線をコンピュータに接続することになる。このような技術はアメリカで1950年代の終わりから1960年代にかけて軍用システムや航空機の座席予約システムに使われるようになり、多様に発展した。
日本では電話は長く不足しており、電話サービスを受けたくても、設備不足のために加入できないことが一般化していた。このような電話需要は積滞需要と呼ばれ、積滞解消が国営の独占事業体である日本電信電話公社の責務とされていた。コンピュータのための通信はデータ通信と呼ばれたが、電話のために構築された回線網を他の用途に使うものであり、技術的に可能であっても回線をデータのために使うことは公衆電気通信法のもとに原則として禁止されていた。電話の積滞は1978年に解消されたが、データ通信の規制は残り、コンピュータ時代にふさわしい通信技術の活用ができない状況が続いた。
当時コンピュータは高価な装置であり、これをすべての大学に設置することは難しいとされていた。アメリカではコンピュータの大学間共同利用のためにARPAネットワークが構築された。西海岸の4大学が接続されたのは1969年のことであり、そのネットワークは1981年以降、インターネットと呼ばれるようになる。日本でも1970年頃から大学のコンピュータを共同利用するために、遠方の大学からプログラムとデータを送信し、結果を受信するリモートジョブエントリー(RJE)システムが構築された。東京大学のRJEシステムの構築には小生も参加した。コンピュータの共同利用が進めば、複数のコンピュータにある情報を有機的に活用できるようになる。ARPAネットワークはこうしてインターネットに進化した。日本でも、送信者がファイルを作成し、これを他から検索することによって電子メールを実現する実験も行なわれた。こうしたことに対して、東大は違法行為をしているという大新聞社の記事で、研究者が批判される実例も生じた。
当時の郵政省もこのような動きを改善する必要を認識し、調査研究が始まっていた。初期の研究から小生も参加し、多様な提案をする機会があった。会議としては1978年に小生が議長を務めたデータ通信会議が思い出深い。この会議の報告では、コンピュータネットワーク時代にふさわしい回線利用制度を中心に、後の制度改革の基本を提案している。小生のこのような提案はその後、4半世紀に及んだ。この時代郵政省には電波管理以外の技官はおらず、小生は依頼されて、郵政省の講堂で1時間を超える講義をすることも多かった。初期には講堂での小生の講演は年数回になることもあった。郵政省は大変熱心で、課長級を含む100人を超える方々が毎回聴講に来られるのが普通であった。
その流れは、政府の行政改革と結びつき成果につながった。このような中で、1985年の電電公社民営化、1997年のNTT改組が行われ今日に至っている。1990年代後半になると、小生は電気通信審議会、特に電気通信事業部会に長く所属し、その中で今日につながる多様な制度の制定に関与した。中でも1996~2000年にかけては、電話加入者線で10Mbps程度の伝送を行うADSLのための回線利用制度を電気通信事業部会長としてまとめたことは重要であった。これに対応してさらに高速通信を可能にする光加入者線に投資するインセンティブになったことも、高速アクセス回線の普及では世界一と言われる今日の日本の通信の発展の基本になっている。
6.21世紀になってからの電気通信の発展
20世紀の内は、通信技術はそれを使って通信サービスを行う通信事業者が中心となった技術の発展をリードして来た。アメリカではベルシステムが通信機器会社であるウェスターンエレクトリックを傘下に持ち、ベル研究所の研究結果をウェスターンエレクトリックの製品とすることによって発展を支えた。欧州各国でもこのモデルをまねた研究組織が作られ、通信会社主導の技術発展を進めた。通信技術が軍用として成立した歴史もあり、通信事業体は国にごとの独占となっているのが普通であった。通信事業者主体の研究開発体制では開発される技術も国ごとになり、製品の市場が小さくなる。情報通信技術がソフトウェアを中心とする技術になると、国によらない共通技術が有利になる。そのため、先進国における国ごとの技術は競争力を失った。世界のネットワーク製品はベンチャビジネスの製品、国内市場が小さく国外需要を積極的に開拓していたメーカの製品に置き換わった。
電話技術はネットワーク全体の統合的管理を想定した全体管理型のシステムである。これに対してインターネットは個々のネットワークは自分が構築した部分についてだけ責任を持つが、情報を受信する相手が自分のネットワークに収容されていなければ、その情報を、受信者を収容しているネットワークに近いと思われる他のネットワークに流すだけで自分の責任は終わりとなる。このようなネットワークは自律システムと呼ばれる限定責任型のネットワークである。接続可能な多数のネットワークが転送を繰り返すことによって、送信情報は受信者に伝わる。インターネットの自律システムは国を超えて作られ、そのサービス範囲も多様である。
インターネットのこうした自由さは多数の通信事業者を生み、低価格の通信サービスを世界にひろげた。エレクトロニックスの低価格化は過去には夢であった通信機器の携帯化を可能にし、電話については多くの国で固定電話超える数の普及をもたらした。今では携帯通信もインターネットと接続され、多くの国では固定電話の利用者は減少し、通信の基本は携帯機器によるインターネット通信となっている。
7.21世紀の通信に欠けているもの
こうした21世紀に入ってからの通信技術とその社会展開の変化は著しい。技術の進歩とその多様な活用の研究は活発に継続すると期待できる。しかし、通信のコストが大幅に低下し、世界のどこにでも料金を気にすることなく大量の情報を送れるようになった今日、通信サービスの悪用によるサイバーセキュリティーと通信詐欺の問題が広く発生するようになっている。これも、通信が高価であった過去に作られた法規制とその理解が適切でなくなったことの結果と言えよう。こうした問題についても技術と社会的理解についての専門的関与が求められている。
人の社会での対話と交流は相手の全人格を理解した上での信頼関係を基礎としている。幼児はまず一緒に生活する家族と言葉を交わす。新しい相手については先ず警戒し、急には親しくならない。人見知りという現象は信頼できる相手を選択する、生まれながらの知恵である。信頼は言葉だけではなく相手の態度を含む多様な観察から生まれる。
こうした相手を知るための情報を電気通信では、十分には伝えないことで通信犯罪が助長されている。電気通信サービスで相手の情報が伝えられない一因は、通信の秘密の法制度が古い理解のままで留まっているためであると言って良い。通信の秘密は、通信内容、当事者の住所、氏名、通信日時、発信場所を第3者に対して秘密とすること解釈されている。問題の第一は通信ネットワークでは、発信者のこうした情報を第3者のみならず、着信者にも伝えなくなっていることである。
いわゆるオレオレ詐欺とか振込詐欺の多くは、発信場所の情報があれば見破る可能性も高い。ただシステムはこのような情報の伝達を想定していない。通信サービスは当事者間の信頼性に疑問を持つことなく構築されている。発信場所を知らせる方法すら検討されていない。具体的研究を早急に開始すべきであろう。
サイバーセキュリティー問題は多様であり、より複雑である。インターネットは研究者相互の通信サービスとして、不法な利用で妨害されることを想定せずに作られている。ウィルスを含むマルウェアがパケットの形でばらまかれ、ネットワークに接続された多様な端末で複製されて、インターネットの正常な動作を阻害する。通信事業者は通信の当事者ではないから、通信の秘密のルールは通信事業者がパケットを検査して、マルウェアが入っていないことを確認することすらできないと解釈されている。どのような条件を付けるかは検討課題であるが、通信事業者によるマルウェアへの積極的対応は重要課題である。
インターネット事業者がwebを監視して危険なwebを見つけ、エンドユーザが危険なwebから、マルウェアをダウンロードしようとした時にはアクセスを止める対策についても検討が進められている。この対策は伝統的には通信の秘密と考えられてきたが、近年日本では通信の秘密の例外として認められつつある。
近年問題になっている標的形攻撃の対策では、メールの発信者の詐称を見破る可能性のある発信者情報を、ネットワークが対象受信者に送ることも有用であろう。例えば発信者が自称している名前だけではなく、そのメールの発信に関してネットワークが把握している発信場所情報のような客観情報があれば、詐称を気付く可能性は高くなろう。
8.結言
情報通信ネットワークは電気技術の発展によって可能になったサービスである。サービスを広く実現するためのインフラストラクチャは世界的に広がり、社会を発展している。基本的インフラストラクチャを社会に普及し、活用して行くために、その在り方を規定する法制度とそれを守る社会的理解が求められる。
技術的に安定したインフラストラクチャではこうした法制度と社会的理解は安定し、守られる。しかし通信技術は20世紀の後半から急激に変化している。その中で技術に対応して、法制度を見直すことは技術の発展のためにも、技術を活用する社会の安定のためにも重要ある。技術的発展の中で、どのような社会を作って行くかを展望し、現在の法制度の意味と、技術が生んだ社会問題も理解しつつサービスの在り方について考えなければならない。通信犯罪もこうしたサービスの見直しの遅れを利用している。
20世紀後半の技術とそのための法制度改革に努力した者として、21世紀にも新たな努力の必要性を認識する専門家が増えることを期待したい。
(東京大学名誉教授 クラス1963)