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  • 戦後70年・・回想、感想、意見/安田靖彦

    まえがき

    yasudayasuhiko本年は大東亜戦争(太平洋戦争)敗戦から70年となり、世間で様々な話題が沸騰した。しかし、大方のマスコミは性懲りもなく、戦争も平和も日本の独り舞台であるかのような、一面的な言説を垂れ流すだけに終始した。

    今や日本人の8割が戦後生まれとなり、戦争を直接知らない世代となった。人類は有史以来何百回いや千のオーダーの回数戦争を行ってきたし、第二次大戦以後も数十回は戦争が起こっている。こうした中で大部分の国民が、戦争に関して上記のような偏った情報環境の中で、ものを考えるとするならば、大変危ういことではないだろうか。

    私は今年の7月7日で傘寿を迎え、従って、敗戦当時、満10歳になって間もない国民学校(小学校)4年生であった。そして、子供のころから成人した後も、心から納得しない限り他人の意見に簡単には同調しない多少の反骨精神を持ち合わせていたようである。

    戦争とくに世界大戦は、およそ人類の各種営為の中でも、その複雑さ、壮大さにおいて他に類を見ない営みであり、ただ一点勝利のために、参加者全員が全知全能を捧げ、最大限の努力を傾注する。従って、良くも悪くも英知、愚劣さ、崇高さ、卑怯さ、人類愛、残虐さ、勇敢さ、臆病さ等人間のあらゆる側面が凝縮してそこに出来する。

    一昔前、自民党の私より10歳くらい年長のボスの一人が、若い議員達の戦争に関する勉強会に出て、君たちは戦争のことを何も知らない。自分はそれがどんなに悲惨なものか知っている云々といって、それ以後の真面目な議論を封殺したと聞いたことがある。敗戦時高々20歳そこそこの若造があの複雑壮大な戦争の何を知っているというのか。せいぜい一断面を垣間見たに過ぎないのではないか。私が本文で述べる経験も戦争のほんの一断面に過ぎないが、そのような様々な断面を多数集め、さらに関連する世界中の資料を収集し総合的に分析することによって、戦争の実相が明らかとなり、真の教訓が引き出せるようになるのではないかと思う。

    本文では敗戦前後の思い出や、その後の日本の歩みの一部に関するあくまで私個人の感想や意見を述べてみたい。同窓会会員の皆様を始め読者の方々は様々なご意見をお持ちのことであろう。忌憚のないご意見を戴ければ幸いである。

    東京空襲

    当時、私は田舎暮らしを好んだ長崎市出身の父が一高生時代に、祖父から建ててもらったという小金井村(現在小金井市)にあった田舎家に住んでいた。この場所は東京都にありながら、ひなびた田園地帯であり、学童疎開の対象になることもなく、戦中を通して住み続けられた。そして、少々不謹慎な言い方になるが、東京空襲という戦争の現場を安全に観戦できる格好の場所であった。

    この小金井村は南側で府中村(現在府中市)、調布町(現在調布市)に接し、その両村町にかけて、先ごろ小型機の墜落事故で話題となった調布飛行場の前身の陸軍防空戦闘機隊の基地があった。この基地には日本の戦闘機としては唯一水冷エンジンを積んだ三式戦闘機飛燕を主力とし、少数の五式戦闘機が配備されていたようである。五式戦は空冷エンジンに比べて複雑な水冷エンジンの製造が間に合わず、飛燕の機体に空冷エンジンを載せたものである。

    昭和19年の晩秋から米国の当時の最新鋭戦略爆撃機B29による東京空襲がはじまった。

    当初は高高度(1万m近く)の昼間爆撃であった。蒼空の中、銀色の機体から4筋の飛行機雲を吐き出しながら西から東へ向う編隊は大変きれいに見えたものだ。そして、当時軍用機のエンジンを製造していた中島飛行機武蔵工場(現在のNTT武蔵野研究開発センターを含む一帯)を狙ったのであろうか、小金井村の上空あたりで投下され、西日に照らされてきらりと光る爆弾がツーと何筋も落下していく様子が肉眼で見えた。また、空襲の度に、調布飛行場等から飛燕他が大挙して舞い上がり、澄み切った青空がいつの間にか、無数の飛行機雲で覆われるのであった。一方、西方、立川町か国分寺町の上空方面で、B29が空中分解して数個の火を噴く大きな個体に分かれそれぞれ回転しながら落下していく様子や、世田谷方面の上空を北上してきたB29編隊中の1機がその巨体をぐらぐら揺らしながら火を噴きつつ墜落する姿も目撃した。またある時は、点にしか見えなかった日本の戦闘機が、B29編隊に後方下から近づいたとたん、火を噴きつつ大きな弧を描きながら降下し、気が付けば胴体の中ほどから火を噴きながら、あっという間に私の頭上に来て、空中分解した。そしてジュラルミンの細かな破片がにわか雨のように、我が家の敷地内にも降り注ぎ、慌てて防空壕へ飛び込んで難を逃れたこともある。近所の大人が味方の高射砲が当たったのだと言っていたが、おそらくそれは間違いで、敵編隊からの集中砲火を浴びたのであろう。その戦闘機の形は鮮明に覚えており、戦後に獲得した知識に照らして推論すれば、この戦闘機は五式戦か疾風(四式戦)だと思われる。

    昭和20年に入ると、戦局はいよいよ切迫し、艦載機まで空襲に加わるようになった。北から南へ自宅の屋根すれすれの超低空で調布飛行場方面に向かったグラマンF6F戦闘機の敵パイロットの横顔がちらりと見えたこともある。また、同飛行場を襲うSBDドーントレス急降下爆撃機らしき姿も遠望した。さらに、高曇りの雲の下で、彼我の戦闘機同士が追いつ追われつ熾烈な空中戦を繰り広げ、そのうちの1機がエンジンのあたりから黒い煙を噴きだすのを見たが、形から多分敵のF6Fのようだった。

    よく語りつがれている昭和20年3月10日の東京大空襲にも際会した。その前夜は風が強く、寒々とした夜であった。夜遅く空襲警報が発令されたが、一旦解除され、夜半を過ぎたころ再び空襲警報が発せられた。庭に出てみると、東の空は既に雲が赤々と照らされ、その空を背景に、単機ずつ低空(高度2000m前後)で侵入してきたB29のシルエットや探照灯に照らされた機体の異様な大きさが目に焼き付いている。日本の双発の夜間戦闘機が放つ曳光弾の光跡も見たが、残念ながら命中したところは見ていない。もっとも、別の時点で、大きな火の塊となってゆっくり落ちていくB29を目撃した。何を狙ったのか、小金井村の上空近くでも親子焼夷弾がまるで花火のように落ちてくるさまを目にした。そのうち東の空は火災による上昇雲が赤色から黄色や白色に変わり空一面を煌々と照らしていった。あの雲の下にいる人々はどうなっているのであろうかと子供心にも心配をしたものだ。

    敗戦前後

    ある官庁の事務次官経験者が、ある時、戦前の日本は北朝鮮のようなものだったと言い放つのを聴き、何をいうのかと反発を覚えたことがある。戦前にも、1925年以来普通選挙(成人男子対象)が行われ、佐々木邦ほかのユーモア小説があり、日本全国どこへでも基本的に自由に旅行することができ、デパートや映画館、遊園地が賑わっていた。因みに米国で黒人に対して実質的な普通選挙権が与えられたのは、戦後も戦後1971年のことだ。

    確かに敗戦の前後は、食べ物が乏しく何時もひもじい思いをしていた。そして、動物園の猛獣たちが、空襲で檻がやぶれて市中に飛び出してくると危険であるという理由で可哀そうなことに、殺処分された。

    敗戦となって占領軍が進駐してきて、獄中の共産主義者ほかの政治犯を釈放させた。府中刑務所から徳田球一、志賀義雄ほかが、また、網走刑務所(監獄)からは宮本顕治が出所した。彼らは釈放されると占領軍を解放軍と崇め奉り、丸々と太って凱旋将軍きどりで猛威をふるいだした。もっとも、後年その解放軍に、レッドパージで追放されたのは皮肉なことだ。丸々と太っていたというのはレトリックが過ぎるかもしれないが、出所後ただちに活動を始めたのは事実で、あの食糧難の時代に刑務所の囚人達は栄養のある食事を与えられていたことが分かる。左翼・リベラルは日本の戦前を暗黒時代であったかのごとく宣伝しているが、戦前戦中の日本はなんと立派な法治国家であったことか!これがソ連や中国、北朝鮮等であれば、混乱の中、街中に繰り出してくると、動物園の猛獣以上に危険な反体制政治犯等は、さっさと、殺処分されていたことだろう。

    「憲法九条のおかげで戦争の犠牲者を出さずに済んだ」の虚妄

    左翼・リベラルは「憲法九条のおかげで、戦後、我が国は戦争に巻き込まれず戦争による犠牲者を一人も出さなかった」という事実に反する嘘を言い募る。

    日本人の拉致は北朝鮮の工作員がそのパスポートを利用し、日本人に成りすまして、韓国へ潜入工作をする目的で始まった。従って、拉致被害者は明らかに南北朝鮮間の戦争に巻き込まれた犠牲者ではないか。すなわち彼ら・彼女らは日本が自縄自縛の憲法九条をもつが故に、他国の戦争に巻き込まれた犠牲者に他ならない。

    多くの方はご記憶の通り、昔は北朝鮮の工作船(不審船)が日本海を中心に我が国の近海に我が物顔で頻繁に出没を繰り返し、ニュースにもなっていた。しかし、我が国は憲法九条が自縛となって、長年これを単に領海から追い払う以上の措置は採らなかった。平成13年(2001年)12月22日、巡視船がこうした工作船を大隅半島沖で領海を越えて追い詰め、停船命令を無視する不審船の船体に機関砲射撃を行ってダメージを与えた。最後は中国のEEZ(排他的経済水域)内で、この工作船は観念して自爆・自沈した。この間の経緯は現在もネット上で見ることができるが、波浪によって揺れる巡視船上から放つ20mm機関砲弾の命中率の高さに驚いたものだ。

    ともあれ、巡視船のこの行動に許可を与えたのは、時の国土交通大臣扇千景氏であった。戦後の男たちの臆病さに比べ、遥かに凛とした女性がいたということだ。同氏は、中国や北朝鮮に気兼ねして難色を示す親中北政治屋や外務省をしりめに、沈没した工作船を引き揚げさせた。そして、当時曾野綾子氏が会長を務めていた(財)日本船舶振興会からの資金援助を得て、その船体をお台場へ移送し船の科学館で展示させた。その結果、国民は初めて重武装した工作船の危険な実態を知ることとなったのである。そして、平成14年9月にこうした事実を手にして、北朝鮮に乗り込んだ小泉首相へ金正日は拉致の事実(の一部)を白状せざるを得なくなったのであった。また、この事件以降、北朝鮮の工作船は姿を現さなくなった。もっと早く、独立国家として当然のこうした行動をとっていれば、憲法九条の犠牲者である拉致被害者の多くは救われていた筈である。こうした行動を一貫して妨害してきた左翼・リベラルの罪は万死に値する。

    日本国憲法HIVウイルス論

    日本国憲法はHIVウイルスである。日米安全保障条約は無菌室である。この2つの短文はセットとなっている。

    米国占領軍は少なくとも占領の初期段階で、我が国を日本国憲法という名のHIVウイルスに感染させ、物心両面で日本という有機的な組織体の免疫システムを根底から破壊し、その上で、保護するという名目で、日米安全保障条約という名の無菌室に我が国を閉じ込め、永久に支配下に置くことを企図した。

    GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)はHIVウイルスの効果を高めるために、様々な舞台装置を用意した。極東国際軍事裁判、産官学における広範な公職追放、検閲、教育制度の改変、歴史の簒奪、戦前戦中書籍の焚書、各界における左翼分子の優遇等。この中でも検閲は、私信の開封から、新聞の事前検閲に至るまで、戦中の日本で行われた検閲をはるかに超える徹底したもので、しかも検閲の事実を隠蔽する悪辣極まりないものであった。このGHQによるWGIP(War Guilt Information Program)と称する日本人洗脳工作への日本側の協力体制の頂点に位置した東京大学の法学部、経済学部、教育学部、歴史学科等の文系学部が果たした役割は極めて大きい。米国が当初の方針の誤りの一部を認めた後も、我が国民の多くが今日に至るまで、このGHQの洗脳工作から解放されなかった元凶ともいえる。左翼系のボスがいて、自分の思想信条に擦り寄るもののみを優遇して引き上げ、学会、教育界、マスコミ界、官界、政界、産業界等の各界へ送り込んだ。こうして拡大再生産を続けながら、故江藤淳氏が夙に喝破した偏向し閉ざされた言語空間の維持発展に結果的に努めてきたのである。

    最近の安保法制について、自民党が国会へ呼んだ3名の参考人がいずれも、この法制は憲法違反であると陳述し、話題を呼んだ。その後、このうちの2名が、外国人特派員協会に呼ばれ、「政府提出の安保法制は憲法違反である。日本の憲法学者の95%以上がそういう意見だと大見得をきった」という報道があった。これには驚き呆れた。議論があって当然の問題に、ほぼ全構成員が一方の意見の持ち主とは、我が国の憲法学会なるものが、その辺の独裁国家も顔負けの如何に凄まじいファッショ・コミュニティであるかを自ら告白したようなものではないか。

    私は戦前の世界地図とりわけアジアにおける欧米植民地支配の実態を子供ながら把握していたので、欧米人に我が国が侵略者呼ばわりをされるいわれは全くないと一貫して確信しており、占領政策の殆どを内心で拒否していた。すなわち、HIVウイルスに対する免疫システムが健在であった。当初は長い間、周りの人々がこのHIVウイルスに侵された亡者のごとくなっていく中で、自分だけが人と違った孤独な存在なのかという悩みもあったが、長ずるにつれてこのウイルスに対する抗体をもつ同憂の士が少なくないことを知って心強く思うようになった。

    さて、本節の冒頭に記した2つの短文のセットくらい、短い言葉で所謂日本国憲法と戦後レジームの性格の正体を暴露する表現はないのではないか。後天的免疫不全症候群というたちの悪い難病の存在が明らかとなり、広く世に知られはじめたころ、私はこの表現を思いついた。そして、そのうちに影響力のある政治学者、評論家の誰かが、こうした表現を使うのではないかと期待して待ち続けた。しかし、今日に至るまで、この表現が使われている様子を寡聞にして見聞きしていない。

    左翼、ジャーナリスト、日教組(日本教職員組合)、官公労(日本官公庁労働組合協議会)、進歩的文化人等によって形成された強固で偏向した戦後の言語空間において洗脳された国民大衆を覚醒させ、廃憲または改憲を実現するためには、所謂日本国憲法なるものが、如何にいかがわしく、おぞましいものであるかを大衆の感性に直接アピールする強烈なキャッチコピーを用いるのが得策ではないだろうか。日本国憲法HIVウイルス論をその目的で使っていただきたいと思う。

    ところで、長年の風雪にさらされた米国提供の無菌室も流石に最近綻びが見え始めた。これはその中に安住してきた戦後日本に、一面で深刻な危機をもたらすものであるが、半面チャンスでもある。私にはその結果を見届けるだけの余命はないだろうが、国民が英知を結集して、これをチャンスとして捉え、世界平和のために主体的に行動できる真の独立国への道を歩み始めることを祈念している。

    むすび

    一部の左翼・リベラルや市民運動家の中には自分が日本人だと言いたくない人がいるようだ。私はその様な輩には、「日本のパスポートを待たずに、どこの国でも好きなところへ出かけて、私は地球市民だとか宇宙人だといって、入国させてくれと言ってみたらどうか」という事にしている。

    なお、本文中のある節のタイトルの表現が不自然に感じられた方もおられよう。これは最近猖獗を極めている言葉狩りを避けるための措置なのである。この言葉狩りの悪習もその起源は占領政策にあるのだ。

    さて、本文を読まれて、この男随分勝手な自己主張をしていると思われた方もいるかもしれない。しかし、私は簡単に人の意見に同調する人間ではないが、説得力のある説明を聴き、納得すればいつでも翻意する柔軟性は持ち合わせているつもりである。ただ、本文中の少々過激な意見について、考えを改めるに足る説得力のある意見にこれまで遭遇したことがないのが実情である。本文で感得戴いた私の反骨精神のごときものは、それほど立派な研究成果を残したわけでもないが、私の研究生活に多少は役に立ったように思う。

    (東京大学名誉教授 クラス1958)

    8 Comments »
    1. 安田先生の「反骨精神」に敬意を表します。「説得力のある説明」が出来るほどの能力を持ち合わせないのは恥ずかしい限りですが、ひとつの疑問を提起申しあげます。先生の反骨精神が、戦後の日本を支配し続け、日本を戦争への途に再び引きずり込もうとしている合衆国の世界戦略に、全く立ち向かって居らないように見えますが、それは何故なのでしょうか? 明治維新後に結ばざるを得なかった数々の「不平等条約」への対抗措置が行く着くところのひとつは、軍部の暴走であった訳ですが、「日米地位協定」などの占領政策が、未だに日本の政治と経済は勿論、社会や文化までも蝕んでいることに何の痛痒もお感じに為らない「反骨精神」とはどの様な物なのでしょうか。失礼な物言いに感情を害されたとすれば、深くお詫び申し上げます。

      コメント by 荒川 文生 — 2015年8月26日 @ 15:40

    2. ➀日米戦争の開戦、戦闘、そして勝利/敗北と有りますが、米国はその勝利を正当化出来ませんでした。原爆投下、東京空襲などは戦争犯罪でした。
      ②軍部の独走とか日本の侵略-世界制覇とか、根拠のなしの話-妄想は今は通じません。論拠はすべて論破されていますので、それは約20年前のハンバーグです。
      ③その点で先生の歴史認識は、間違っている点が無いと断定出来ます。

       このサイトは放送大学関係者の方から紹介を頂き拝見いたしました。私は東大卒でも理系での無い一人の近現代史研究をする者です。理工学系の方はさすが論理的に考えられていると(生意気にも)感心しました。

       近現代史は、今を生きる道標です。ご興味をお持ちの方は弊会で闘論をされてみては如何でしょうか。歓迎します。

      細谷 清
      日本近現代史事務局長

      追伸:貴会には超高圧変圧器設計に携わった方がおられれると伺いました。私はその輸出を担当しました。

      コメント by 細谷 清 — 2015年8月30日 @ 20:32

    3. > このGHQによるWGIP(War Guilt Information Program)と称する日本人洗脳工作への日本側の協力体制の頂点に位置した東京大学の法学部、経済学部、教育学部、歴史学科等の文系学部が果たした役割は極めて大きい。

      WGIP の一次資料で、公開されているものがありましたら、教えてください。

      コメント by 箕浦敏実 — 2015年9月6日 @ 19:56

    4. 箕浦敏美氏の質問(2015年9月6日付け)への回答:
      その気になれば、ネット上で簡単に探せる筈ですが、一応回答します。

      (1) 関野道夫著 『日本人を狂わせた洗脳工作』(自由社ブックレット)
      (2) 有馬哲夫著 「日本を再敗北させたGHQ洗脳工作「WGIP」」:月刊誌正
                 論  昭和27年7月号
      (3)  (2)の内容の一部が下記URL に出ています。
          URL:http://www.sankei.com/life/news/150610/lif1506100001-n1.html
      なお、上の(1)、(2)には英文の一次資料の主要部のコピーが掲載されています。

      コメント by 安田靖彦 — 2015年9月7日 @ 14:08

    5. 箕浦敏美氏の質問への回答(2015年9月7日付け)において誤りがありましたので、修正版を下に示します。

      (1) 関野通夫著 『日本人を狂わせた洗脳工作』(自由社ブックレット)
      (2) 有馬哲夫著 「日本を再敗北させたGHQ洗脳工作「WGIP」」:月刊誌正
                 論  2015年7月号
      (3)  (2)の内容の一部が下記URL に出ています。
          URL:http://www.sankei.com/life/news/150610/lif1506100001-n1.html
      なお、上の(1)には、英文の一次資料の主要部のコピーが掲載されています。

      コメント by 安田靖彦 — 2015年9月8日 @ 12:58

    6. 小生も安田先生の大東亜戦争論に大いに共感する1人です。
      科学技術の世界で多大な業績を生み出した先生の歴史的事象への精緻な眼力に敬服いたします。
      欧米の学問体系は大きくArtとScienceに分類されるそうですが、先生のScienceの世界での
      業績は現在の私達の暮らしの中で何1つ欠くことのできない重要な要素技術になっています。
      そのような偉大な業績の前で、小生の様な若輩者が申し上げるのは恐れ多く気が引ける
      のですが、失礼を承知で申し上げると、目の前で起きている事に対して、先入観や偏見や
      固定観念を排除し、事実を事実として真正面から受け止めたからこその業績と考えます。
      こう言う事でなければならない、こう言う事であるべきといった既成概念に囚われていたら
      Scienceの世界では何も前へ進められないですし、何も生まれないでしょう。
      翻って、歴史はArtに分類されるそうです。人の手で作られるものを対象にした学問がArtに
      なるそうですのが、確かに歴史は人によって作られるものですね。人によって評価される
      ものと言っても良いかもしれません。
      ですから、大東亜戦争をどう解釈するか、どう論ずるかは自由で、Scienceのように絶対的な
      評価を求めることは出来ないかも知れません。しかしながら、その論評に於いてはScience
      のアプローチや飽くなき真実への探求心がなければ、それは単なる独りよがりの戯言になって
      しまうでしょう。
      これは小生の偏見かもしれませんが、近代史の世界でややもするとこのような戯言が
      大手を
      振って闊歩していると感ずるのは小生だけでしょうか。
      主義主張の前に、目の前の事実を事実として受け止め、偏見のない目で冷静に分析、評価して
      戴きたいものです。その姿勢こそが私達の明日を正しく導く道標になってくれることと信じます。

      コメント by 鈴木 修 — 2016年5月26日 @ 16:12

    7. エントロピー増大の法則と憲法論

      エントロピー(無秩序さ)は増大する。このエントロピー増大の法則はこの宇宙を支配する根源的な法則の一つである。それにも拘わらず、太陽系がその秩序を維持し、ばらばらにならないのは重力という力が太陽と惑星間に働いているからである。同様に原子が原子でありうるのは電磁気力という力が原子核と電子の間で働いているからであり、原子核が原子核でありうるのはクオーク間に働いている強い力という力のおかげである。
      この宇宙に存在するあらゆる組織体はエントロピー増大の法則に従って常に解体する方向に向う力に曝されている。
       国という有機的な政治的組織体は、憲法という枠組みとそれを担保するための政治的な力(権力)によって維持される。若しこの力がなければ、国はばらばらになって解体し消滅する。そうならないために、国家は常日ごろから警察力や軍事力等の実力組織を涵養しておかねばならない。勿論、それが行き過ぎた独裁国家では国のエントロピーはどんどん下がってしまう。
       護憲論者の憲法学者は最近何かといえば「憲法は国家権力から市民を守るために存在する」という言い草を持ち出して、それが憲法の最重要な役割であるかのごとく言い募る。確かにそうした役割も近代憲法にはあるに違いない。しかし、それは憲法の役割の一部に過ぎない。憲法の主要な役割はあくまでエントロピーの増大を適度に抑制し、国を国として維持することにあるのだ。
       憲法学のような社会科学では、実験が容易でないことを隠れ蓑にして、非現実的な空理空論を延々と弄んでいるようにしか見えない。老生はこれを「お坊ちゃま憲法論」ということにしている

      コメント by 安田 靖彦 — 2016年11月15日 @ 14:37

    8. 小生が今回の一文(コメント  )を書くに至ったのは、アメリカの国務長官ケリーが先ごろ、「日本の憲法は我々が作ったものだ」と言ったということが伝えらたことがきっかけである。従来米国政府の要人達は内心はどうであれ、遠慮してこうした言葉を口にしたということは聞いたことがない。日本人も随分なめられたものだ。しかもこの発言に対して、日ごろ九条を憲法に入れさせたのは日本人自身なのだと主張している一部の護憲派をはじめ、ジャーナリストほかが怒りや抗議の表明をするどころか、ほとんど無反応だったことに驚きを禁じえなかった。戦後のGHQによる洗脳教育がここまで深く現生日本人に浸透し、その無気力な植民地住民根性が丸出しになっているような危機感を覚えた。
      小生がさきの随想「戦後70年・・」の終わりの方で指摘した米国提供の無菌室にも綻びが見え始めた。これをチャンスととらえ、戦後レジームの桎梏からの脱却を図るべきだという主張が、TRUMP氏の大統領当選で早まる可能性が出てきた昨今、肝心な日本国民が上記のような体たらくでは、独裁国に支配されて、日本国のエントロピーは限りなくゼロに近づいていくのではないかと心配だ。

      コメント by 安田 靖彦 — 2016年11月15日 @ 14:40

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