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  • 素敵な出会い/峯松信明

    世界をあちこち出歩いていると、こういう出会いに遭遇することもある。写真をご一緒しているのは、東大電気系名誉教授の柳井久義先生のご令嬢の久美子さん。今回訪問した新羅大学で日本語教師をされている。たまたま私が今年の2月にホーチミンで講習会をやったことを伝えると、彼女もベトナムで日本語を教える機会があったけど逃したことがある、とか。minematsu131013聞いてみると、彼女はなんと柳井名誉教授のご令嬢で、また、柳井先生のお弟子さんのベトナム人のダン・ルオン・モーさんを知っていて、モーさんからベトナムで日本語を教えないかと誘われたが、諸々の事情でそれは実現できなかった、と。モーさん?、もしや、と思い、その場で PCを開いて確かめたのがこのページ。

    http://todaidenki.jp/wp4/?p=4797

    ダン・ルオン・モー(壇良)先生。東大電気系の大先輩にあたる方。私も学んだ必修授業「電気回路理論第一」の執筆者の一人。そのモー先生が、昨年10月に同窓会に投稿した記事が上記のURLである。この記事は、モー先生が日本に初来日してから、帰国するまでの45年間(うち5年は帰国)の日本での孤軍奮闘ぶりを自伝的に書かれた文章である。先生は2002年にベトナムに永住帰国されているが「XI. おわりに」にこう書かれている。

    もう一つやりたいことがあるが、いまだ着手できていない。それは日本語-ベトナム語辞書だ。この種の辞書はすでにごまんと出回っているが、どれを見ても、これで満足だというものが、残念ながら見つかっていない。自分は果たして、これができるかどうかもわからないが、目を閉じる前に、これをやりたいと願っている。

    先生の記事の後に、幾つかコメントが寄せらているが、その中の一つは私が書いている。研究室で開発しているOJAD(Online Japanese Accent Dictionary) の紹介をしている。この紹介をした2ヶ月後には、ホーチミンでOJAD講習会を開催し、その後、国内外のあちこちで講習会を行なっている。毎回、現場の日本語教師の方々に感謝の言葉を多くかけられ、技術者冥利につきるのであるが、今回は、とても素敵な出会いとなった。

    モー先生、東大電気、音声合成技術、アクセント結合、OJAD、日本語教育支援、ホーチミン講習会・・・。そして今日、釜山での講習会を終え、釜山の海鮮料理に舌鼓を打ち、たまたま車をご一緒した新羅大学の日本語教師と、たまたまベトナムの話をした途端に、繋がる、繋がる、繋がる、繋がる・・・・。そしてその日本語教師は、写真のPCに写している集合写真の中央に座る男性に対して、こう語りかけた。「この人知ってます。モーさん。ベトナムの方。父のお弟子さんだった方です・・・。モーさんからベトナムに来ないかって言われたのですけどね・・・」この写真は上記URLの記事に掲載されている、2002年の電気系クラス1962の同窓会写真。中央に座ってらっしゃるのは永住帰国を決められたばかりのモー先生。

    世界は広い、でも狭い。こういう繋がりがあるから、人との出会いは止められない。次回ベトナムで講習会を行なう時は、モー先生の前でやってみたい。「峯松君、私の教科書をもう一度よく読むように・・・」なんて言われる結末が待っているかもしれないが(^_^);。

    2 Comments »
    1. 素晴らしい出会いですね。
      なつかしいモーさんの紹介もあり、皆さんの熱心な日本語普及活動に感心しました。モーさんは柳井研の時から日本語が御上手でした。
      柳井研の時から、またその後、柳井研の同窓会「かわず会」を通じて、モーさんとは交流していましたが、最近はご無沙汰していました。
      その後の元気な様子などもご紹介いただきありがとうございました。

      S42年卒、柳井研出身の菅田

      コメント by 菅田 孝之 — 2013年11月2日 @ 11:08

    2. 峯松信明さま
      菅田孝之さま

      いや、懐かしい人の写真を見せてくださいました。ありがとうございます。
      柳井先生ご存命中毎年の正月二日に先生宅を訪問することは柳井研現役生とOBの慣例でした。先生没後も小生は何回か荻窪の先生宅で奥様とお会いしました。しかしずいぶん長い間久美子さんにお目にかかりませんでした。確かに久美子さんを、ベトナムで日本語を教えてみませんか、とお誘いしたことがあります。
      小生が学部三年の時に柳井先生が、まだ建設中の小河内ダム見学にご自分の車で案内してくださいました。そのとき久美子さんも一緒でした。まだ小学校の何年生か覚えていませんが先生は「クーちゃん」という愛称で呼ばれました。確かに記念撮影の写真があるが今は見つかりません。柳井先生記念出版物かなんかに載っていると記憶しています。

      また、「スゲトロン」というニックネームで通った懐かしい菅田さんのコメントも読ませていただきました。菅田さんの時はGUNNダイオードが盛んに研究されているテーマの一つだったが、菅田さんはそのディジタルデバイス応用の可能性に興味がおありでしたからそのニックネームがついているわけですね。GUNNダイオードで一つ記憶として残っている話があります。当時の青木研究室に、後理科大の教授になられた小林駿介さんがGUNN発信らしいものをGUNN氏とは独立に観察しましたがこれを追及・解明しませんでした。GUNNの発表後、小林先生ご自身が大変残念がっていました。

      いろいろと記憶を甦らせてくださってありがとうございます。

      檀 良 (ダン・ルオン・モー)

      コメント by 檀 良 (ダン・ルオン・モー) — 2014年9月16日 @ 12:39

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