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  • 「経済を忘れた道徳は寝言」なのだろうか?/江崎浩

    縁あって、日本IBMさんが主催されている「富士会議」に参加させていただいています。 産官学で活躍されている30代終盤から40代の方々、40-50名が集まる会議です。 毎年1回、伊豆の天城に登り1泊2日の議論を行います。2009年度は世話人を仰せつかり、小宮山宏前総長に基調講演をお願いしました。90分が予定された講演時間ですが、一向に終わる気配がなく、サインを出すと「うん」と頷かれますが、講演は継続される。 今回のキーワードは、『勇気』。 聴講者は、会議終了後のアンケートにもあるように大満足・大感激でしたので、強制終了することも躊躇され、本当に、いろいろな意味での『勇気』と『決断力』が要求されました。 結局、小宮山さんは、30分超過、質疑応答の時間が短くなってしまいました。 しかし、小宮山さんの溢れるエネルギーは、富士会議の参加者に元気と勇気を与えてくれたようです。

    参加した富士会議で、印象に残っている基調講演は、2つあります。2007年のジェラルド カーティス氏(コロンビア大学 教授)の話と、2008年のエンツォ・フェラーリの設計者として有名な奥山清行氏です。 ジェラルド カーティス先生のお話で、今でも、常にバイブルのように参照させていただいています。「戦略」、「戦術」、「武器」をきちんと整理すること。 時に、我々は、「武器」から無理やり「戦術」や「戦略」を造りだしてしまうことがある。我々科学者・技術者の、「科学技術至上主義」から出てくることかもしれないと、いつも思い出し、確認をさせていただいている。 奥山さんの話では、「Experienced Design」であった。経験しながらでないと「良い」解は出てこない(Deliverされない)。 彼の話で興味深かったのは、「アーティストは、それを支える技術を正確にかつ深く理解し、その上で、究極の追い込んだデザインを創造する」というものでした。 建築、音楽がその典型的な例になるでしょう。 実現できないデザインは空想であって、実現不可能で価値がない。 ぎりぎりに追い込み、実現可能なデザインを実現することが重要であるという趣旨の話をされていました。「容易に実現可能な」目標では、芸術的な創造は不可能である、「極限への挑戦が要求されるデザインが感動と革新を具現化する」という趣旨の講演であった。まさに、科学技術の研究開発に責任を負い、次世代の地球の発展を背負う人材の育成に責任を負う我々にとって、非常に厳しく、また、示唆に富む基調講演でした。 また、一方で、「背の高き者には槍を持たせ、背の低き者には盾を持たす」という戒めもある。『矛盾』そのものであるのかもしれない。

    今年(2009年)の富士会議では、二宮尊徳さんの 「道徳を忘れた経済は罪悪、経済を忘れた道徳は寝言」を教えていただいた。 渋沢栄一氏は、「論語と算盤」の中で、ほぼ同様のことを言及されている(論語の教えと商売は矛盾するものではなく調和するものであると)。 まさに、科学技術の研究開発に携わるものとして、常に考慮・実践すべきことであろう。 「道徳を忘れた科学技術は人類を滅ぼす可能性を持つ」は明白な事実であろう。一方、「世の中に受け入れられない科学技術は、『寝言』に過ぎない」のであろうか?

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