梅雨に/近山隆
ここのところ毎日の雨は、いかにも梅雨という季節を感じさせる。とはいえ、梅雨のうっとうしさは50年前に比べるとはるかに和らいでいるのは、さまざまな技術の進歩のおかげである。この稿も降りしきる雨をよそに、除湿した機密性の高い部屋で書いている。
なぜ「梅雨」と呼ぶのか調べてみたが、諸説あってわからない、というところらしい。カビを生えさせる雨だから「黴雨」と呼んでいたのを、語感が悪いので、梅の実の熟す季節でもあるから「梅雨」と書くようになった、という説が私にはもっともしっくりくる。もともと「梅雨」といったのだという説もあるし、毎日降る「毎雨」が語源という説もある。「つゆ」という読み方が広まったのは江戸時代以降とのことだが、その語源説はさらにさまざま。
梅雨は、華南から台湾、朝鮮半島、北海道を除く日本と、東アジアのかなり広い範囲にわたる現象だそうだが、とはいえ漢字文化圏、つまりは中華文明の強い影響下にあった範囲に楽々と入ってしまう。「梅雨」という言葉ももちろん中国起源だが、日本でこの言葉が受け入れられるにあたって、何の抵抗もなかっただろうことは想像に難くない。
中華文明はしぶとい。その影響の広さ、深さにおいて匹敵するのは欧米におけるローマ文明だろうが、ローマ文明は「蛮族」によってローマ帝国が瓦解するに際していったん滅んだといってよいだろう。それに比して、中国では漢族の国家が何度「蛮族」によって征服されても、征服民族は結局その文化を受け継ぎ、文化的にはいつも屈伏してきたといえる。その過程には民族国家ではなく世界国家を目指す動きがみられるように思う。
昨今の国際情勢は、軍事力と経済力による世界国家を目指した超大国がその面では民族主義に破れつつあるように見えるが、ITを含む科学技術はそれとは無関係なように世界中に浸透し続けている。ITは中華文明のような強い文明になりうるだろうか。
(近山 隆:工学系研究電気系工学専攻・教授)