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  • 科学では解けない謎/近山隆

    私が子供の頃にはもう「科学では解けない謎」は決まり文句になっていて、少年向きの雑誌には、この言葉を使った記事が3号に1回ぐらいは出てきたように思う。今でもテレビや雑誌、最近ではWeb上の記事などに、この言葉はよく登場する。私は謎を解いていくべき「研究者」と呼ばれる仕事をかなり長く続けてきたのだが、科学で解けていない謎が多いのも知っているし、知れば知るほど深まる謎が多いのも事実である。だがこの「科学では解けない」という言い回しにはかなりのまやかしを感じる。

    「科学では解けない」は「どんな科学をもってしても決して解くことができない」という印象を与える。なんだろうと「できる」ことの証明にはやってみせればよいのだが、「できない」ことの証明は難しい。1931年に発表されて数学界に大ショックを与えたゲーデルの不完全性定理は、何が証明できないかを証明したということで画期的だった。これは計算機科学の重要な基礎である計算可能性の理論にも深くつながっている。「科学では解けない謎」の記事は、このようなきちんとした議論をしようとしない。単に「まだ解けていないらしい」というだけである。「まだ解けていない」ことならいくらでもあるわけで、私が今夜何を食べるかは「科学では解けていない謎」である。

    このあたりがさすがに気になるのか、「現代科学でもまだ解けていない謎」という言い方も散見する。この言葉づかいのが有効なのは、現代の科学への(量的な)盲信が裏にあるように思える。科学によってさまざまな問題が解明されていくのを見て、「現代科学でほとんど何でもわかっている」とい錯覚する向きが多い。その結果、「まだ解けていない」もので「解き方の予想もつかない」問題は、現代科学の方法では解けないのだろうと考えてしまうらしい。もし現代科学の方法で解ける問題が既にすべて解かれてしまったのなら、研究者などという存在は不要である。

    往々にしてその次に来るのは「現代科学の方法で解けないのだから、他の方法によるしかない」、そして「○○という方法によるべきである」という議論である。読み進んでみると「○○でなら解ける」のかはあやしい場合がほとんど。そもそも現代科学の方法で解けるかどうかは、「○○でなら解ける」ことの傍証にもならないのである。

    というわけで、言いたいことはみっつ。「似非科学を信じるな」と同時に「現代科学を盲信するな」、そして「巧妙な言い回しによる暗示には気をつけよ」です。

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