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  • ゴルフ思い出話(その2)/大曲恒雄@クラス1955

     いわゆる名門コースと呼ばれるゴルフ場も幾つか経験した。

    スリーハンドレッド、小金井、東京よみうり、程ヶ谷、相模、相模原、川奈、よみうり(兵庫県)、などなど。このうち、川奈ホテルゴルフコースでは何回かプレイした。そのうちの1回は・・・
     中部支社の営業担当から「受注を狙っている放送局の部長がゴルフ好きなので招待したいが並みのコースでは気に入らない模様。川奈なら喜んでくれると思うが予算的に厳しいので支援してほしい」との依頼が来て事業部本部の交際費を使って支援することに。川奈では前夜川奈ホテル泊まりとなるが、ちょっとした宴席の場を設けたりすると1人当たり7~8万円かかる。結局総額30万円くらいの半分を本部側で負担することでこの催しが実現し、部長殿は大変喜んでくれた。その成果のほどについては残念ながら記憶が定かでない。

     前にも書いた(2009/3/16)が1974年から数年間実験用中型放送衛星の開発に携わり、かなり頻繁にGEに出張した。GEの衛星関係事業所はフィラデルフィアの西の郊外、古戦場として有名なValley Forgeの高台にあり、目の前にゴルフ場が見える。サマータイム制なので9時頃まで明るく、終業後でも楽にワンラウンドプレイできた。
     仕事上のCounterpartであったシステムエンジニアリング部門の責任者Mr.Jがゴルフ好きのオジサンで、出張のたびにお手合わせをした。ある時、小生が土曜の夜現地に着く予定だったので翌日ゴルフをやろうと約束していた所、日曜日の朝になったらあいにく雨でゴルフは中止。小生は諦めてホテルで寝ていたら昼頃になって彼から電話あり「雨止んだよ、これから迎えに行く」とのこと。それで目出度く日曜ゴルフが成立することとなった。
     当時GEには30人くらいの東芝技術者が駐在していたのでその連中とも結構ゴルフをやり、Valley Forge周辺のゴルフ場を何カ所か案内してもらった。

     日本とアメリカではゴルフのやり方で違う点が幾つかあるようだが、特に差が大きいと感じた点が2つある。1つは、日本のコースではスタートした順番に整然とゲームが進行するがアメリカでは追い越し(追い抜き)ができる。例えば2人組が4人組の後ろにいる場合、当然2人組の方がプレイが早いので追いつくことになる。その場合、4人組はパットが終わってからグリーンの近くまたは次のティグラウンドで2人組を待つ。次のティーグランドでは6人一緒にティーショットを打ち、2人組が先に出て行く。このようにして非常にスムースに追い越しが行われる。
     もう1つは、アメリカでは18ホール連続してプレイするのが普通で、日本のように前半9ホール終わって一休み(大抵ここで昼食となる)、後半は改めてスタートというやり方はしない。ある時、お客さん(多分郵政省のお偉方だったと思う)を招待してゴルフをやることになったので日本式に前半終了後レストランに戻り昼食会を開いた。食事が終わり後半のプレイに戻ろうとした所トラブル発生。偶々その日はコースが混んでいて切れ目無くプレイヤーが進んでおり、10番ホールの前にも何組か待ちがいた。我々はその中に割り込む必要があったわけで、幹事は四苦八苦して何とか割り込ませてもらうために大汗をかくこととなった。

     誰かに聞いた話なので信憑性は保証できないが、タイではプレイヤー1人にキャディが4~5人つき、うち1人はイス担当でプレイヤーが立ち止まると直ぐにイスを差し出す。もう1人は日傘担当、更にフォアキャディもいてボールがトラブルに落ち込まないように処置(?)をしてくれるとのこと。小生はタイでのプレイ経験はないが、マレーシアとシンガポールでプレイしたことがある。どちらもキャディが5~6人の集団(!)でついてくる。困ったのはスコアを記録する鉛筆がコースに置いてないこと。キャデイの1人はスコアを記録していたので彼女に一々鉛筆を借りてスコアを記録したが、要するにスコアなんかどうでもよくゴルフを楽しんでもらえればいいという考え方らしい。
     シンガポールでプレイしたとき、スコールに何回か遭遇した。スコールは日本の夕立とは比較にならない猛烈さなので、とても優雅に傘を差してプレイを続けるなどというわけには行かず、スコールが近づいてきた時は一目散に木の陰や建物に逃げ込まねばならない。ただし、15分か20分待避していればまたカラリと晴れて、多少の水溜まりは残っているもののプレイ続行可能となる。

     1990年に韓国ソウル近郊の第一CCというコースでプレイしたことがある。キャディが集団でついてくること、プレイヤー用の鉛筆が置いてないことは上のケースと同じだが、ビックリしたのは風呂が日本のコースと全く同じスタイルで設備されていたこと。外国のコースでは貧弱なシャワー設備があるのが精々なのだが、日本のコースと全然変わらないように立派な共同浴場設備があったのには驚いた。これが、第一CCだけの特殊ケースだったのか、或いは韓国では日本式の風呂があるのが普通なのかは分からない。もし、ご存じの方があれば教えて頂きたい。

    1件のコメント »
    1. 大曲兄とは同じ頃にゴルフを始め、同じ国立の富士見台団地に住んでいたとは驚きでした。またまた海外でのゴルフもニアミス紛いだと思いました。私の最初の海外ゴルフは、1974年4月ワシントン郊外でした。研究所からT君が駐在しており、日曜日に出張者のため2組みアレンジしてくれました。私は下手なグループで後ろの組でした。米国のコースは長いなーと思っていたら、午後の途中からコースを間違えて、午前に回ったコースを再び回っていたのです。薄暗くなってハウスにたどり着いたら、前の組が下手にしても遅すぎると心配しており、大笑いになりました。
      マレーシアには工場があったので、1976年頃出張しました。ホテルの隣がコースで、早朝にハーフを回り、汗をかいたシャツを干しておき、仕事を済ませてホテルに帰ると乾いていました。それから残りのハーフを回って、顧客のテレコムとのパーティーに出席すると、君達は我々の前を回っていたなーと話が弾みました。帰国して事業部会議に出ると、S事業部長から「マレーシアに行って朝な夕なゴルフをしていた馬鹿がいる。」と大声で言われました。
      南米ではブラジルに工場があったので、伝送の競争相手である無線の技術者達と休日に仲良くゴルフを楽しみました。一番印象に残っているのは、チリでのゴルフです。詳細は「チリの思い出」(2009-6-29)に紹介してあるので割愛します。

      コメント by 大橋康隆 — 2012年4月21日 @ 17:04

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