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    クラス1961(昭36)

    本年2月に宅間正夫君が他界された。健康に問題なさそうだったのに突然の訃報でした。武藤君からの言葉「彼とは高校も同じ、仕事も同じ原子力分野で長いつきあいでした。原子力エネルギー利用の論客として活躍する一方、“雷さんと私”な・・・・つづき

    リトアニア史余談93:クリミア遠征とサリーナス条約/武田充司@クラス1955

     1398年夏、ヴィタウタス大公は前年に続いて再びドニエプル川下流の草原地帯に遠征した。このとき、ヴィタウタス率いるリトアニアの遠征軍はクリミア北部からさらに東へ進んでドン川下流域まで達した。そして、ドニエプル川の河口付・・・・つづき

    近頃思うこと(その44)/沢辺栄一@クラス1955

     1964年(昭和39年)の東京オリンピックは晴天に恵まれた10月10日に開会式が挙行された。

    今後の30会運営について/吉田進@クラス1955

     9/30の30会には、当初出席者8名の予定でしたが、期日が迫ってからの欠席者が3名(高橋、武田、齋藤)も出て、出席者は(新井、小林、小松、沢辺、吉田)の5名となりました。こんなことがあったので、今後の30会開催継続のた・・・・つづき

    修士の研究生活が始まって/クラス2019(平31)

    去る10月4日、電気系学生の同期が集まりコンパが開催されました。学部のeeic生活が始まってすぐに開催された学科コンパでは80名をこえる参加者が集まりましたが、今回の参加者は10名でした。それはeeic2017のメンバー・・・・つづき

    マーストリヒトからアムステルダムへ/大橋康隆@クラス1955

      2004年8月25日朝、マーストリヒト(Maastricht)のホテルを出発し、市を南北に流れるマース川に架かる聖セルファース橋(St.Servaasbrug)を渡って旧市街を訪れた。(写真1)

    半世紀前の記録から:南アフリカ(3)・ヨハネスブルグ/小林凱@クラス1955

      ヨハネスブルグは南アフリカの最大の都市で中央高原の北寄りに位置し、当時は国際航空便は殆どが此処に飛来して乗り継ぎでケープタウンやダーバンなど国内各都市に向かう乗客が多く、交通と経済の中心であった。私も此処を滞在の拠点・・・・つづき

    9月の花便り/高橋郁雄@クラス1955

      今回は、大船植物園フラワーセンターからです。すべて9月19日に撮影しました。マンデビラとハナシュクシャはフラワーセンター内の温室内で撮影しました。

    人生百年時代/齋藤嘉博@クラス1955

      私が70才のころ、ゴルフ場で80才を越えるご老人がプレーをしているのを見ながら、80才の年寄りがゴルフや車の運転をするなんて危なくて見ていられないネと思ったものでした。そして“自分がその齢になったら”なんて考えたこと・・・・つづき

    リトアニア史余談92:ドイツ騎士団のヴィルニュス包囲/武田充司@クラス1955

     1393年1月、ヴィルニュスの南西150kmほどに位置するリトアニア南部の要衝ガルディナス(*1)がドイツ騎士団の大軍に襲われた。彼らの中には西欧から雇われた大勢の騎士たちもいた(*2)。

    8月の花便り/高橋郁雄@クラス1955

      今回は大船植物園フラワーセンター(8月8日)と野川公園内自然観察園(8月24日)からです。

    リトアニア史余談91:ヴィタウタス大公時代のはじまり/武田充司@クラス1955

     1392年から1430年までのヴィタウタス大公の時代はリトアニアが頂点を極めた時代であるとともに、それは歴史的な分水嶺となった時代でもあった。

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