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    クラス1943(昭18年9月)

    昨年9月に村田重元君が亡くなった。村田君は、卒業後2年間は海軍に勤めたが、終戦後、日本放送協会に戻り、31年間勤めた。その間、送信用真空管、UHF大電力クライストロン、マイクロ波管などの研究を行った。その後、長崎大学、長・・・・つづき

    70年会について/クラス1943(昭18年9月)

    私共、クラス1943は、昨年卒業70年に成りましたが、6名となり、会合も開くことが困難となり、クラス会は一昨年の69年会までとなってしまいました。残念でした。(森 英夫 記)

    クラス1943(昭18年9月)

    本年の9月で卒業後、満70年になるが、卒業生35名中現存者は、小口文一、平田信二、松本欣二、村田重元、吉田周正、森英夫の6名となった。 本年2月には、川橋猛君が亡くなった。川橋君は、北朝鮮平壌の生れで当地の中学卒業後、広・・・・つづき

    クラス1943(昭18年9月)

    野坂康雄君、西岡篤夫君、山本幸雄君の3名が亡くなられた。野坂君は、日本製鉄に入社、陸軍技術中尉勤務後、技術部勤務、製鉄プロセスの自動化を担当、退職後、東海大学制御工学科教授などを歴任した。西岡君は、逓信省電気試験所に入所・・・・つづき

    クラス1943(昭18年9月)

    昭和18年9月に第1工学部電氣工学科を卒業した私達34名は、多くの人が軍務に服したが、不幸にも病に倒れた1名を除き、戦時の苦難に耐えて、全員無事に生き延びた。その後、戦後の混乱期を経て、我が国の高度成長期に腕を振るい、楽・・・・つづき

    電氣18年会/クラス1943(昭18年9月)

    電氣工学科昭和18年9月卒業の私達7名は、本年第2回目の会合を先日の10月18日(火)のお昼に神田の学士会館で行いました。 当日は、小口より「我が国の最近の大きな出来事」。山本より「電力問題についての必要知識。川橋より「・・・・つづき

    クラス1943(昭18年9月)

    渡部徹君が、本年3月7日に亡くなられた。君は、卒業後、海軍の2年現役を務められたが、終戦後、逓信省工務局に戻られ、技術開発や石川電気通信部長などを勤め、退職後、沖電気に入社、常務取締役を務められた。ご冥福を祈る。 卒業生・・・・つづき

    最後のクラス会(67年会)/クラス1943(昭18年9月)

    私達、第2次大戦の真最中の昭和18年9月の第1工学部電氣工学科の卒業生は、本年で卒業後満67年になります。 私達は卒業後、宇都宮幹事のお世話で、クラス会を10年会、20年会、25年会、30年会、35年会と飛び飛びにクラス・・・・つづき

    クラス1943(昭18年9月)

    昨年から4人の級友を失った。東大教授、東京理科大教授、(財)医療機器センター理事長などを務められた宇都宮敏男君、住友電気工業、住友電設に務められた代谷正元君、日立製作所、新神戸電機に務められた桜井泰男君、電気通信研究所か・・・・つづき

    66年会/クラス1943(昭18年9月)

    第2次大戦中の昭和18年9月に東大第1工学部電氣工学科を繰り上げ卒業した私達は、本年10月に卒業後満66年になる。 これを機に、私達は去る10月16日(金)の昼間、神田の如水会館で66年会を行った。会員数は卒業時34名だ・・・・つづき

    クラス1943(昭18年9月)

     別記のように卒業65年会を平成20年10月18日に如水会館で行った。  この1年間に佐治木君、森田君、宮武君が亡くなられた。佐治木清吾君は、長野で生まれ、静岡高校卒業、陸軍勤務後、工業技術院 機械試験所に約20年勤務さ・・・・つづき

    65年会/クラス1943(昭18年9月)

    後列左から 宇都宮 野坂 山本(幸)小口 岩田 川橋 吉田 森 松本 前列左から 川橋 森 野坂 中原 阿竹 宇都宮 小口 各夫人  私達は、平成20年10月18日(土)12:30~15:00 神田の如水会館で、卒業65・・・・つづき

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