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  • 60年会/クラス1954(昭29分校)

    昭和29年 3月に工学部分校電気工学科を卒業したクラスの60年会を去る11月 4日(火)正午より「代々木倶楽部(新日鉄系)」において開催しました。入学時28名、卒業時26名(後年時卒業 2名)の同級生のうち、生存者は15名となりましたが、7名が元気に顔を揃えました。

    わがクラスは、戦後の学制改革により旧制高校が廃止され、その結果残された白線浪人救済として行われた新制大学第二学年への特別編入措置により、廃止直後の第二工学部跡に設置された工学部分校で、 3年間旧制並みの教育を受けました。分校は15万坪といわれる広大な土地に木造校舎が散在し、本郷キャンパスとは全く異なる環境で、学生1.5名に対して教官1名に相当する多数の教官がおられ、わずかの大学院生以外に先輩も後輩もいない中で勉学に励みました。また一方、大多数の学生が校地近くにあった6棟の学寮に住んで、まさに旧制高校の延長とも言える共同生活を送り、深い交友を経験しました。この学寮が当時の千葉市緑町にあったことと我々の関わる電気の閃光という語から、「緑閃会」をわがクラス会の名称として、この十数年間毎年秋に集まりを続けてきております。

    当日のクラス会には、わずかにご高齢の齋藤成文先生のみご存命と仄聞するのみで在学中ご指導を受けた先生方もことごとくご他界になり、先生方のご臨席を望めなかったことは残念の極みでしたが、出席者一同傘寿の峠を越えてなおかくも元気に再会できる幸せを慶び合いました。懇談の中では、難手術の経験談、病後のリハビリ苦心談等、年齢相応に体の不具合を幾つも抱えながら、いかにそれらを克服してゆくかが話題の中心でしたが、時局を巡る政府やマスコミへの批判・感想や国内外特にエネルギーを巡る諸情勢とその将来展望等について、以前のようにかくあるべきとの熱い想いを吐露するよりも、若手に委ねられた将来をしかと見守るべきという齢相応の意見が多くなり、歳月の経過を痛感させられました。
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    出席者は、写真の前列左から相澤、坂口、鈴木、後列左から丹野、林、岡邊、渡部です。

    今回出席のなかった同級生のうち、宇佐美君、廣瀬君等病気療養中の諸君もおられることから、これら諸君の一日も早い快癒を切に祈念するとともに、来年もまた一人でも多くの出席者を期待しております。

    (渡部徹男 記)

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