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  • エンジニアよ、厨房に入るべし -勝手にその2- /熊田亜紀子

    結婚して、またさらに子供達が生まれて以来、料理は私の日課である。研究室で実験がどんなに重要な局面にあろうが、ディスカッションが白熱しようが、原則、18時15分には研究室を出る毎日である。帰宅し、夕食を作らねばならない。最寄りの駅から買い物しつつ帰宅すると19時、子供達が空腹に耐えられるリミットが19時半、ということで夕食作りにかけられる時間は30分である。

    研究室を出た瞬間に、漠然と献立を考え始める。何もないところにいきなり多くのことを築き上げるのは研究でも何でも大変だが、献立作りも同じである。あれもこれもと考えが散り、なかなかまとまらない。そこで通常は、ご飯とお味噌汁と主菜と副菜2つと品数の境界条件を決めている。ルーチンに落とし込めば、わかりきったことは最適な時期に準備をしておくことができる。出勤前に、炊飯器のタイマーをセットし、お味噌汁のダシ用に鍋に水を張って煮干しを放り込んできた。準備万端だ。

    具体的な献立を考える上でさらに重要なのは、「あ、冷蔵庫の中のアレ、賞味期限が今日までだった!使わなくては!」という、献立上十分条件となる在庫の材料である。一昨日残った小松菜半把がシナシナになりかけている、小松菜は副菜で使おう。小松菜と、頭に刻みつけてから、漠然と主菜を考え始める。ここだけは、作る人である自分の好みで決める。特権である。小松菜君は、手間いらずの煮浸しにしよう、煮浸しにあうということで和食にしよう。昨日がお肉だったから今日はお魚、昨日スーパーで秋刀魚が安かったから、もう秋刀魚のおいしい季節か…学生たちの研究大丈夫かね、おっと脱線、秋刀魚の塩焼にしよう、と、献立が決まっていく。電車に乗っている間も、頭にあるのは、残る一品とお味噌汁の具を何にしようかということばかりである。焼き物と煮物だから、あと一品は酢の物にしようか、さんまに大根おろしを添えるのに大根を買うから、残った大根でナマスにしよう、お味噌汁の具はスーパーで目に入った野菜を適当に買って入れればいいやと、少なくとも目先の締切りであるスーパーにたどりつくまでに、献立を8割方決め、スーパーでやらねば(買わねば)ならないものを固めておくことにする。

    最寄り駅で降り、スーパーで買い物をすましたら、(十分条件となってしまう在庫の材料が多くなりすぎると、制約が多すぎて献立をまとめるのが難しくなってくる。不良在庫とならぬよう、なるだけスーパーで購入する材料は必要量としている)残る家路は、ひたすら帰宅後の手順を考えていく。30分で作るというのが至上命題である。秋刀魚は内臓を処理して洗って塩ふってグリルにセット、お味噌汁用のだし汁は火にかけて、大根は桂剥きにして千切りにして塩をふって、味噌汁の野菜の準備もこの辺で始めて云々と、細かくシミュレートし、表1のような工程表を頭の中で練り上げていく。帰宅すれば、この予定表に基づき作業を遂行する。途中、子供達が帰宅して、彼らのシュールな落書き作品に感想を求められたりと、ちょっとした外乱はあるものの、自分の作業効率を把握している限り、おおよそ工程表どおりに作業は行えるものである。

    時間内に夕食を作り終えめでたしめでたしとなるわけだが、ここまでダラダラ書き連ねてきた私の思考回路と作業内容を読んでくださった皆さんには、「夕食作りは、限られた条件下で問題を解決する工学に他ならない」ことが感じられたのではないだろうか。作業時間、キッチンの設備、冷蔵庫にある在庫、自分の作業効率という項目以外にも栄養バランスやコストといった健康・医療、経済項目をも考慮すれば、現代の電気工学の研究の進め方と何ら遜色のない工学であるといえる。身近なところにも、研究のトレーニングは転がっているのである。

    日々の夕食作り作業には、作って食べられるということ以外に、1つうれしいおまけがある。大根の桂?きやキャベツの千切りを、どこまでも薄くどこまでも細くと極限に挑戦しながらひたすら包丁を動かしていると、ふっと頭から雑念が消え、無の境地になることができる。そんなとき、往々にして「あそこをああすれば、今日の実験でうまくいかなかったあの点を解決できるのでは」と、本業である研究上のターニングポイントとなるアイディアが浮かんでくることがある。

    2007年6月の菊池教授の寄稿文の二番煎じのようだが、私も「エンジニアよ、厨房に入るべし」とう一文で本稿を締めくくることとする。

    (本稿はパワーアカデミーWeb「研究者コラム」に2008年11月に寄稿した原稿に多少手を入れたものです。)

    表1:工程

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