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  • なぜ、僕は日本語が使えるのだろうか?/峯松信明

    いきなり、変なタイトルを掲げてしまって申し訳ない。だが、この「問い」、峯松が中学生の時に、ふと頭に浮かんだ問いである。

    中学の時に、国文法の授業が面白かった。何故か?通常、授業では知らないことを教わる。理科にしても、英語にしても、数学にしても、、、。でも、国文法の場合、「知っているであろう」ことを明確に意識化し、整理整頓する、という他の授業と極めて異色なことをやっていることが面白かった。

    そして、ふと、こう考えた。「連立方程式なんて知らなかった、でも、なんで僕は日本語を知っているのだろうか?、どうして日本語が話せるのか?」私の母親はその昔小学校の教師をやっていたが、留学生相手に日本語を教えたなんてことは聞いていない。日本で生まれた子供はみな日本語を使えるようになる。全ての母親が優秀な日本語教師である訳は無い。そして「なぜ、皆日本語が話せるようになるのか」などと考えた訳である。ある意味、日本語が話せる自分が不思議な存在のように思えた。

    実はこの問い、言語獲得研究者にとって「究極の問い」である。

    そして、人類学者にとっても「究極の問い」かもしれない。なぜ、遺伝子的差異は2%しかないのに、チンパンジーには言語が無いのか、と。

    例えば、自分が言語を知らない頃の記憶を明確に持ち合わせていれば、上記問いは問うべくも無い問いとなる。そして、その記憶さえあれば、「言語が無い状態から、言語がある状態への遷移」を明確に意識化でき、それを計算機の上に実装することも容易であろう。私は音声工学を研究の糧にしているが、当時の記憶が無いことが非常に恨めしい。

    一方、「言語がある状態から、無い状態への遷移」というのは実は、観測可能な遷移である。不幸にも交通事故などで脳障害を被った場合に、失語症という症状を呈する場合がある。複雑な脳のどの部位に損傷を被るかによって、様々な症状を呈する。中には全失語と呼ばれ、言語野と言われる部位が全て壊れる場合もある。言語を失うのである。

    しかし、失語症者の中にはリハビリで言語を獲得し直す人も多い。完全とまではいかないまでも、セラピストの介助により、少しずつ回復の途を辿る。

    ここ数年、ふとしたきっかけから、上記した獲得性の言語障害ばかりでなく、発達性(生まれつき)の言語障害についても本を読み漁った。既に30冊以上の本を読んだだろうか、、、。その中で、中学の時に自問した問いが、急激にクローズアップされてきた。あれから30年近く経っ た。問いも「僕の娘はどうして日本語が話せるようになったのか?」に変わってきたが、、、。

    これらの本に書いてあったことは、音声工学者としての私の常識を超えた事実のオンパレードであった。音声工学の究極の目的が、機械に音声言語運用能力を授けることであるとした場合、言語障害の各種症例の説明モデルを我々は提供できなければならない、となるが、そんなことは全くもって不可能であることに、遅まきながら気付かされた。

    失語症、自閉症、失読症、、、なぜこういう症状が起きるのか、音声工学、音声言語情報処理が築き上げてきた様々な知見をもってしても、そのような症例は起きそうもない。

    ある意味、当然の成り行きだが、人類学、霊長類研究の図書にも目を通すようになった。ここ数年が、40年の人生の中で最も本を読んだ時期になっていると思う、、、。

    「何故人間は、その周りに言語がある環境に生まれると、先天性の障害が無い限りにおいて、誰でも言語が使えるようになるのか?」

    その変化は、凡そ10万年前に起きたと言われている。その時、サルの(脳の)情報処理戦略の何が変わって、ヒトは生まれたのか、、、。

    実は、音声工学者として、一つの答えを導いている。つい先日、言語の起源・進化を議論する国際会議に一編投稿した。私も工学屋の端くれ、その答えの一部は数学的に導いている。ただ、このような学会に論文を投稿するのは実は初めてである。答えが見つかるかどうか、その保証はどこにもないのに、同様の問いを自問し続けてきた連中が集う場である。私の思考がどこまで彼等に受け入れられるのか、全く未知数である。とは言え、時には、このような研究のギャンブルも楽しいものである。

    おっと、「いっつもギャンブルばっかじゃないですか」という学生の声が聞こえそうである、、、。

    (峯松 信明:新領域創成科学研究科基盤情報学専攻・准教授)

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